だまし討ち

「はい。これ」
「ああ、ありがとうございます」
報告書だと思い込んで受け取った物にかなりの厚みがあると気がついたのは、目の前の上忍がにんまりと笑っているのを見た後だった。
「受け取ったよね?今」
その言葉にとっさに自分の手にしている物に視線を走らせた。
…丁寧に包装されてはいるが、リボンなどはついていない薄い箱。
丁度二つ折りにした報告書で隠れるくらいの大きさのそれは、俺が気付かずに受け取らせるためのものだったんだろう。
してやったりといわんばかりにタチの悪い笑みを浮かべる男の意図は分かったが、目的が分からない。
受け取っただけで意味を持つもの。
一番可能性の高い物を推測していく内に今日が何の日だったか思い出して、困惑した。
俺の予想通りなら…十中八九、何のにおいも感じ取れない箱の中身はチョコレートだろう。
それを、わざわざ受付所の中忍に渡す意味なんてあるのか?
何かの罰ゲーム程度ならまだいい。
だが上忍という人種は時折とんでもないことを遊びの種にするだけに、油断は出来なかった。
この人はそんなことに興味がないのかと勝手に思い込んでいたが、高みあることが退屈であんな所業をしでかすのだとしたら、この人以上に危険な人物はいないだろう。
「ああ…申し訳ありませんまちがえてしまいました。お返しします。俺…私が受け取りたかったのはこちらの報告書だけです」
相手が意図的にやったのだとしても、まばらとはいえ人目がある状況で先に頭を下げられれば、いかにこの上忍が高名であったとしても動き辛いはずだ。
そう踏んで受付担当者らしく笑みを崩さないまま、男にそっとその薄い箱を差し出した。
…内心、奇妙に余裕のある笑みに怯えながら。
「受け取ったんだから返品はダメですよ?」
もめているとまでは行かない。
周囲の人間も何がしかの問題が起こっているとは気付いているだろうが、報告書の確認でちょっとした補正が必要な事は日常茶飯事だ。
憤るでもなく殺気を放つでもなく…この上忍の態度なら誰も疑問には思わない。
だが、こうして笑顔でいる間に受け取れといわれている気がしたのは、俺の穿ちすぎだろうか。
「…申し訳ありませんが、その、こちらを受け取ったからといって…」
「あ、そうね?後ろも詰まってきちゃうし。…後で、ね?」
一瞬で姿を消した男を視線で追うことすらできなかった。
まだ勤務時間内だ。こんな風に逃げられたら、追う事も出来ない。
「…ちっ…やられた…!」
口ですら適わないのか。あの人には。
といっても自分も余り口が上手いほうではないのだが。
愕然とする間もなく、男の言葉通り受付を待っていた人間は溜まっていて、それを処理するのに手一杯になってしまった。
男に踊らされているのは業腹だが、仕事を放棄するわけには行かない。
苛立ちと不安は腹の中をぐるぐると躍らせながら、舞い込む書類たちを捌くしかなかった。
*****
言葉通り、上忍は勤務時間が終わるなり俺の元へやってきた。
「こんばんは」
あの黒い笑みなどどこへやったのかと思うほど、穏やかで優しげな笑みを湛えて。
これが演技だというのなら、流石というかなんと言うか…。
顔を隠しているからこそできる芸当なのかもしれないとも思ったが、どちらにしろ俺にとっては嬉しい事実じゃない。
何を企んでいるのかを、表情から読み取ること難しいということだからだ。
「…こんばんは」
これ見よがしに机の上においていこうとした箱は、男の手によりカバンの中に突っ込まれてしまった。
忘れ物扱いにでもなればにげれらると思ったのに。
「さ、行きましょうか?」
待っているのが説明だけということはないだろう。
何がしか企んでいるに違いない。
「…どこへでしょう?俺はこれから家に帰るんですが、任務上で必要でしたら他に適切な担当者を…」
あくまでも事務的に。笑顔の仮面はほころびかけていても、油断はしていない。
いざとなったら逃げ出そうと身構えていた俺の手を、男が掴んだ。
「じゃ、先生のうちにしましょうか?」
にっこりと微笑まれて、感じたのが恐怖だけじゃなかった辺り、顔のいい人間は得だと思う。
*****
「粗茶ですが」
本当に粗茶だ。
普段はインスタントコーヒーでもあればいい方で、自宅でわざわざ茶を入れるのも面倒で弁当と一緒に買ってくるのがせいぜいだ。
つまり、何かのオマケで貰ったお茶くらいしかうちには存在しない。
ことんと上忍の前に置いた湯飲みも随分と貰った店の名前が書いてある貧相なもので、欠けてはいないという所だけが美点だといった程度の代物だ。
恐る恐る差し出したそれを、上忍は躊躇いもせず口にした。
顔を隠しているのはこれのせいなんじゃないだろうかという位、整った顔を晒して。
「ごちそうさま。イルカ先生も、さっきのどーぞ」
思わずじっとみつめて呆けていたらしい。そう催促されて自分のおかれている状況を思い出した。
逃がさないためなのか手を握ったまま離さない上忍を人目につかせないために大急ぎで俺の家にたどり着き、ついでに帰ってくれと怒鳴ろうと思ったタイミングで隣の部屋の住人が帰ってきて、流石に人前で上忍を怒鳴れば何がしかの問題になるだろうと諦めたのがまずかった。
隣の住人とにこやかに挨拶を交わした男が、俺が家の鍵を開けるのを待っていて、尚且つ隣の住人もソレを見つめている。
…そのままごく自然に俺の家に上がりこんできた上忍を阻む方法は、俺には思いつかなかった。
そして今も。
「これ、ですか…」
「そ、それ。あけてみて?」
センスのいいと評されるだろうシンプルなラッピングの箱が、この状況ではどこか禍々しくさえ感じるから不思議だ。
…開けたら帰ってくれるかもしれないし。
そう見込みの薄い期待で己を鼓舞して、乱暴に包装を破り、中を開けるとソコには…。
「チョコ、ですね」
「ん。美味しいと思うんだけど」
予想通りだ。なにがって中身がだ。
断じて男の様子じゃない。何でこんなに脂下がってるんだか恐ろしくて考えたくない。
整然と並んだ丸い褐色の物体は、恐らく高級品なのだろう。ロゴのついたものなどどこにも見当たらないが、あからさまに高級感を漂わせている。
すっと、そのうちの一つを上忍が拾い上げた。
「どーぞ」
食えというのか、これを。…得体の知れない上忍の手から。
「…頂きます…」
断ることができなかったのは、毒なら毒で隣人が証人になってくれるだろうと思ったのと、逃げようとした所で先ほどまで勝手に手をつながれた時と同じように、逃げることなど出来ないだろうと思ったからだ。
男二人が膝を突き合わせてチョコを見つめあうこの状況。…異常だとしか思えないが、男は上機嫌だ。
さっさと済ませてしまおう。
解毒剤の場所と思いつく限りの解毒手順を反芻しながら、腹を括った。
だが、流石にこのままかじりつくのはまずかろうと、手で受け取ろうとしたのにすっと指を退かれてしまった。
「口で」
脅すのとも違うが、上忍にとってはすでに決定事項なのだろう。
もはや悩むのさえ疲れ果てて恐る恐る口を近づけると、半開きになっていた口に指ごと押し込まれた。
「んっ…んぐっ!?」
チョコが溶けるのを確かめているのか、口内をかき混ぜるように指がなぞる。
「ね、おいし?」
聞かれた所で指が居座ったままの口ではろくな言葉も紡げないんだが。
するりと出て行った指を目で追う頃には、チョコの味よりも男の指の感触ばかりが鮮明に残るばかりで。
「な、なんなんですかもうほんとに…!」
「好きです。チョコ受け取ったんだから…いいよね?」
情けなくも半分泣きが入った俺に、上忍はそれはもう嬉しそうに愛を告げた。
前半部分はまあ…なんというか百歩譲って要考慮だとしよう。だが…後半部分の不穏さはどうしたらいいんだ。
「ちょっとまってください!返事って…返事は普通ホワイトデー…」
「え?そんなの待ってられないんだけど」
驚いた顔の上忍から当然のように即座に拒否されたが、こっちだって譲れないモノがある。
「あのですね…チョコレートを受け取ったというよりは、アレはだまし討ちだったと思うんですが…?」
「あ、うん。だって受け取らせたらこっちのもんだって」
「は?」
何か恐ろしいセリフを聞いた気がする。
愛のイベントが…まあ多少の下心はつき物だとしてもだ。…なんでそんなに策略めいた内容になっているだろう?
「俺も大変だったんですよ?受け取らないように、この日は外食でだって油断できないし。郵便物は上忍寮の入り口で止めてくれますけどね。任務を騙ったら流石に処分だからまあその辺は安心ですけど」
ちょっと誇らしげなのがまた恐ろしい。
だが何より恐ろしいのはその内容だ。
「そ、それは一体…!?」
「え?バレンタインでしょ?」
ありえない。その一言に尽きる。
さっさとお引取り願いたいと思っていたのだが、ごく当たり前だといわんばかりの顔をする男に、流石にこう言わざるをえなかった。
「ちょっとその、カカシ先生の知っているバレンタインについて詳しく教えてください…」
*****
忍なんだから早いもの勝ち当たり前、階級をかさに来た実力行使は不可、チョコ以外のものを渡しても無効、だが術はある程度までは許される(怪我人が出るモノは不可)、薬、トラップなんでもござれ。
ろくでもないっていうのは、こういうコトを言うんじゃないだろうか。
「イルカ先生のこともずーっとずーっと狙ってたんです!でも術は流石に…嫌われちゃうかなぁって」
今やらかしたことも十分嫌われる可能性は大きいと思うんだが、この上忍の中では大分手加減した部類に入るらしい。
嫌だったら油断しないから、チョコを受け取らないはずだという主張にはうなずきかねるのだが。
「すごくすごーく嬉しいです!これで晴れて…恋人同士っていうか…!」
いきなり恥らわれてもどうしたらいいものか。
大胆なマネをしでかした割りに、この上忍は随分と夢見がちなようだ。
「あ、えーっとですね。俺は男ですが」
「そうですね!露天風呂とかにも一緒に入れますね!二人っきりがいいから貸しきりにしちゃうと思いますけど!」
にこにことこの世の春を謳歌している男の脳みその中身を、じっくり検分してやりたい。
…どうしてそうなるんだ!
「えーっと。その、まず俺の知るバレンタインとアナタのいうバレンタインは別物です。よってこのだまし討ちプレゼントは無効です」
「え…!?」
本気で驚いているのが分かるだけに、今頃この里のどこかで本当に繰り広げられれているであろう戦いに恐怖を覚えた。
忍だからって許されることと許されないことがあるだろうに。
「ですが…あの、すっごく一生懸命だったのはわかります」
「え!」
しょぼくれながらも不穏な気配を滲ませていた上忍が、期待と不安の入り混じった瞳で俺を見ている。
ああ、もうしょうがないよな。
「…お友達というか、その、お付き合いくらいなら」
「ホントに…?」
こういう瞳に弱いんだ。
この人は…こうして捨てられた犬みたいにこっちを見るから。
恋愛感情では決してない。…と思う。
だがずっと気になっていたのは確かだ。
…それがほっとくより監視した方が安心だって言う方向にシフトしただけで。
「ホワイトデーまでお返事は待ってくださいね?」
「う…っ!が、がまんします…!だから…!」
「えーっと、今後とも宜しくお願いします」
「はい!」
とりあえず付き合うなんて自分には縁の無いことだと思っていたんだが、嬉しそうに笑っているのを見るとちょっと…そう少しだけだが胸がときめくというかなんというか。
可愛く見えるんだから、まあ1ヶ月、試してみるのもいいだろう。
「ひょっとしてホワイトデーも違うとか…?」
そのセリフに恐怖を覚えながらも、俺の膝になついている、俺にチョコを食べさせることだけは譲らなかった上忍をなでてやったのだった。


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とりあえず…バレンタインなので!エロ神様がいないよ(´;ω;`)
スランプ気味の自分にはこれが精一杯…。
ではではー!生暖かいご意見、ご感想、アホを慰める言葉などお待ちしております!

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