変態からの逃避行

「へ?今何て?」
「お主は…自分の顔色がわかっとらんのか?」
三代目に唐突に呼び出された挙句、なぜか沈痛な面持ちで深い深い溜息をつかれた。
ひょっとしてうちの変態が三代目にまで被害を及ぼしたかと思ったが、この様子…どうも違いそうだ。
そうだよなー…何だか知らないが、三代目はあの駄犬に全幅の信頼を…!
どう考えてもまともじゃないヤツに対して、あそこまで高い評価を与えるってのは…いくら里最強の忍…火影でもやっぱり寄る年波には勝てないのかもな…。
まあとにかく。何だか知らないが、三代目は俺のことを心配そうな瞳で見つめている。
そうだ。この瞳はあの頃…俺が一人ぼっちになった頃と一緒だ。
力強くて、優しくて、でも心配そうで…信頼できる俺のじいちゃんの瞳だ。
ってことは…またなんかあったのか!?
慌てる俺の額を、三代目が軽く小突いた。
「ほれ、ワシの話もちゃんと聞けておらんようではないか?もう一度言う。お主は明日から3日間休みじゃ!良いな?」
「え?!えええええ!?」
正直言ってアカデミー教師はこの時期とんでもなく忙しい。入ったばっかりの新入生がちょっと落ち着いて、それから…どんどんイタズラのレベルがあがったり、逆にホームシックになったり、友達付合いなんかでも色々で始める時期だからだ。
まあ、それが教師やってて楽しい部分でもあるんだが。
そんな時期に俺が抜けるなんて…いくらなんでも!
「で、でもですね?ほら、幼年クラスの子どもたちだって今…!」
「そんな状態のお主に何が教えられる?受付でも溜息ばかりつきおって…」
「うぅ…っ!」
そうだ。確かに自覚はちょびっとだがあった。
だがそれも仕方が無いと思う。
…なにせ、駄犬からの変態行為が半端無いからのだ。
ヤツは…毎年毎年この時期になると異常なまでのヤル気を見せるが、結婚などという恐ろしいイベントを済ませてしまっているというのに、今年は更にそのヤル気のレベルが高い。
今までの経験からして被害を減らそうとしても、殆ど効果は上がっていない。
…対策を考えるより、その後の精神の安定を考える方が建設的なんじゃないかっていう予感がひしひしと感じられて、それもまた俺を憂鬱にさせていた。
家に帰れば妙な格好の駄犬か、妙な道具を構えた駄犬か、妙な薬品を弄ってる駄犬か、全体的に妙な行動を取る駄犬か、むしろ全裸で股間をいじ…いやまあつまりだ!駄犬まみれの日々にいい加減俺は限界を迎えようとしていたらしい。
「…結婚というのは色々あろうからな…。丁度そろそろお主の誕生日でもあるし、どうじゃ?二人っきりで旅行でも…?」
「お断りします!そ、そんな目に合うくらいなら…!」
やっぱりか!三代目らしい気遣いの仕方だが、俺にとっては全力でお断りしたい内容だ。
駄犬め…こっちでもなんか手を打ちやがったのか…!?
これはもういっそ里抜けでもと焦った俺に、三代目は深くうなずいてみせた。
「そうか…そうじゃなぁ。二人っきりというのも息が詰まる時期が来たか…。蜜月が激しかったからかのう…?まあお主らにはまだ子どもも居らぬし…」
凄まじく不穏な発言があったが、もう三代目も御年だからその辺は流すコトする。
それよりなにより…これは、チャンスに違いない!
「え、ええ。そうなんです。俺は、一人で!ゆっくりくつろげる時間が欲しいんです…!四六時中ぴったり張り付いて破廉恥な行動ばかり取るあの駄犬と一緒にいるのはもう無理です…!」
出来ればあんな変態とは別れてしまいたい。この呪いの指輪だって捨てて自由になりたい。
が、そんなことをすれば駄犬がどんな暴走をするかわからないし、なにより三代目は絶対に反対というか…勘違いな援護をしてくれて事態が悪化すること受け合いだ。
そんなリスクの高いことより…一瞬でいいから、俺はあの駄犬から開放されたかった。
絡みつくように見つめる視線から、執拗な変態行為から、…俺だけに向けるあの飢えた様な、それでいて蕩けるように愛おしげな瞳から。
駄犬に追い回されるようになって、もうすぐ二年。
俺の中の何かを確実にぞりぞりとすり減らすソレから、一時でも開放されるのなら…!
必死で訴える俺を、三代目は見棄てなかった。
「そうか…では…そうじゃな?丁度いい距離に宿がある。小さいが中々良い所じゃ、ここで3日だけじゃが療養して来い」
さすが三代目だ!俺の尊敬する里長だ!
これで…これで俺は…!
「ありがとうごさいます…!三代目…!」
心からの感謝の言葉を三代目に送ることが出来た。
これで、あの駄犬から僅か数日とはいえ開放されることが決まったのだ!
いくら駄犬でも、里長からの命令に逆らう…可能性があるな。駄犬なら。
…念押しも必要だ。
「場所はいま地図を描いて渡してやろう。支払いは…アヤツの給金から差っ引いておくから安心せい!自分の番がここまで悩んでおるのに気付かぬアヤツにも責任があるからの」
よし!俺の懐は痛まなそうだし、一石二鳥だ。
…まああの駄犬のせいで最近俺の貯金も恐ろしい金額になってるんだけどな…。
慰謝料!そう、精神的慰謝料ってことにしておこう…!今はそんなことより、手に入るかもしれない一時の安息を確実にすることの方が重要だ!
「三代目…お願いです…。この数日だけでいいんです…!アレと…アレと完全に離れた生活がしたいんです!」
涙目でおねだりしてみた。
これは出来れば使いたくなかったが、昔っから三代目はこういうのに結構弱いから、きっと確実に…!
「もちろんじゃ!任せておけ!アカデミーには既に連絡済じゃ、皆心配しておったぞ?それに…出立までにアヤツには話をつけておく。安心して行っておいで?」
久しぶりに撫でられた。ガキの頃みたいに頭をもしゃもしゃされると、懐かしさと不甲斐ない自分への憤りとで頭の中身までぐじゃぐじゃになりそうになったけど…凄くホッとした。
そうだ。これはちょっとだけ…ホンのちょっとだけ冷静になるために必要な時間ってだけだ。
別にまだ諦めた訳じゃないぞ!変態に屈服するなんて真っ平だ!
「いってきます!お土産、何か買ってきますね!」
羽が生えたように出てきたばかりの我が家に帰る俺の足は軽く、開放感溢れる俺の心は、手渡された地図の小さな宿に飛んでいた。
背後の不穏すぎる気配に気付きもせずに。

「…というわけじゃ、後を追うことはまかりならん」
「なんで…なんでですかぁ…!俺と二人っきりでいちゃいちゃパラダイスのために折角受付とアカデミーもお休みにしといたのに…!」
「馬鹿者!お主がヤりすぎなんじゃ!いかに新婚とはいえ…!…ん?じゃがお主らはすでに…」
「だぁーって!イルカ先生が魅力的過ぎるんです!いっつも気持ちよくしたくなるし離れなくないし…!」
「良く聞け。…面やつれしたアヤツに同僚は心配しおるし、受付ではあの儚げな風情が色っぽいなどと不穏な気配を漂わせる者もおったんじゃぞ?」
「そうですか!じゃ!行ってきます!どーこーのーばーかーかーなぁ…!!!うふふ!!!」
「殺気を治めんか!外回りの者の中には、お主の番じゃと知らん者もまだまだ多い。たった3日じゃ!休ませてやらぬか?それにしばらく距離を置いて冷静になった方がじゃな…」
「確かに…!離れていた時間が愛を育てますよね…!我慢して溜まっちゃってたイルカ先生を何も出なくなるくらい、いーっぱい鳴かせちゃうとか…!!!」
「おお!分かったようじゃな?ならばほれ、お主は任務にでも…」
「…でも…それ聞いちゃったらますます心配です…!間男に襲われないかとか、泥棒猫に襲われないかとか…!俺の奥さんだってことで狙われる可能性だってあるんですよ!?今すぐ…!」
「ならん!…護衛には暗部をつけてある。お主もよく知っておるじゃろう?例の…」
「そんなの…もっと駄目じゃないですか…!下手に護衛なんかつけたら目立っちゃうし!イルカ先生の魅力を目の当たりにしたら絶対に欲しくなっちゃう…!それなら俺が行きます!絶対に…絶対に絶対に…イルカ先生には気付かれないようにしますから…!」
「…じゃが…!」
「イルカ先生に何かあったら…俺、生きていられません…!俺の全てなんです…!」
「お主のその思いの強さがイルカには重いんじゃろうなぁ…。アヤツは真っ直ぐで優しい。自分の愛の重さがお主と同じだけかどうか不安になったのかもしれんなぁ…?」
「そ、そうですか…!イルカ先生ったら…!!!優しくて可愛くて最高のお尻で…!!!」
「…良いか、くれぐれも見つかるでないぞ?眠っているからといって襲うなど言語道断!薬物も幻術も使用を禁ずる!決してイルカに触れる事はまかりならん!心しておけ!」
「はぁい!…見つめるだけの日々が長かったので大丈夫です!…ぜぇーったい見付からないようにします!じゃ!いってきまぁす!」
「…うむ…イルカも情が強い子じゃからなぁ…。たまにはこういう機会が必要じゃな…」
*****
「ここか…!」
いそいそと荷物をまとめて逃げるように里を出たが、三代目はしっかりヤツを押さえてくれたようだ。
無事にたどり着けたのは確かにこじんまりとしているが、三代目の好みに合いそうな落ち着いた雰囲気の宿だ。
中途半端に高級な宿にありがちな妙にギラギラした感じじゃないのも、俺の好みに合っている。
「あの、うみのイルカなんですが…」
「いらっしゃいませ。三代目から伺っております」
にこりと微笑んだ優しげな風情の壮年の男は宿の主人だろうか?
かつてはの行きつけだった温泉宿の豪快な女将も嫌いじゃなかったが、今の俺にはこういう穏やかな宿があっているのかもしれない。
一人、静かな環境で冷静になるために。
「ではお部屋にご案内いたします。お食事の時間などはこちらのご案内をご一読下さい。温泉は各部屋にございます。二十四時間ご利用が可能ですので、ごゆっくりおくつろぎ下さい」
気遣いは細かく、だが押し付けがましくない話し方で、ここならゆったりとした時間を過せそうだ。
通された二間続きの部屋も一人には広いが、落ち着かないほどだだっ広くないし、何より露天風呂が備え付けだというのもポイントが高い。
寝室からすぐに温泉に入れるし、トイレと普通の内風呂も着いている。
しかも布団は既に用意されていて、俺が何も言わなければ一人の時間を邪魔されることもない。食事も後で持ってくる時間を指定すればいいようだし、正に今の俺には楽園だ。
さすが三代目だ。俺の好みをきっちり押さえている。
「帰ったら肩揉んで…あと一緒にお茶でもしようかな…」
子どものころは気軽に出来たことが、大人になってある程度立場ってものが分かってくるといつの間にか出来なくなっていた。
…でも、いつだって三代目は偉大な里長で、でも俺の大好きなじいちゃんだ。
この所駄犬関係で色々と思う所はあったが、もうちょっと三代目のことを大事にしよう。
そう思いながら、俺は荷物を降ろし、それからすぐに部屋の探索を開始していた。
忍としての本能…ではなく、駄犬の気配を警戒してのことだ。
あれだけ言った以上、三代目は確実に駄犬への躾をしてくれたはずだ。
だがそれがヤツの脳内でどれだけ歪曲しているかまでは分からない。
念には念を入れて、特に寝室を重点的に探ったが、駄犬の好みそうな危険な薬物や札や香などは発見できなかった。
ここまでやれば大丈夫だろうと、俺もやっと一息つけた。
早速温泉に浸かるべく着てきた服を脱ぎ捨てた。
用意された手触りのいい浴衣もタオルも手ぬぐいも、駄犬の仕込みを警戒して出がけにコンビニで買ってきた新品の下着も持った。
後は…ゆっくり温泉を堪能できる!
久しぶりに肌を晒しても警戒せずにいられるコトに、凄まじい爽快感を感じながら、ゆっくりと扉を開けた。
そこには…想像以上の光景が広がっていた。
温泉は足を伸ばして浸かれる広さだし、洗い場も十分広い。
囲いがしっかりされている分見晴らしはそれほど良くないが、大名の庭のように美しい木々が植えられているお陰で閉塞感は感じない。
どうしても捨てられない警戒心で、ついつい股間にタオルを…しかも結構厳重に巻いてしまったが、これなら安心だ。
まずは急いだせいでかいた汗を流そうと、しっかり巻いたタオルを外そうとしたときだった。
ざわり…と背後の茂みから不穏な気配を感じたのだ。
気配として捕らえる事はできなかったが、まず間違いない。
駄犬がいる。しかもすぐ側に。無防備な俺の背後に。
途端に心臓がバクバクと激しく喚き始め、背筋にも大量の汗が伝った。
…だが、勘違いかもしれない。俺がヤツを恐れるあまり、いもしない襲撃者の気配を感じ取ったのかもしれない。
できれば、そう思いたかった。
平静を装って、風呂椅子に腰掛け、それから…わざとらしく背後の…気配を感じる茂みからは肝心な部分が見えないようにタオルを外した。
「…っ!」
…確かに聞こえた。喉を鳴らす駄犬が立てた音が…興奮に染まった変態が、息を飲む音が…!
いる…絶対にいやがる…!
俺はできるだけ冷静であろうとした。だからこそ、ごく自然に見えるようにタオルを股間に置きなおし、備え付けのボディーソープを必死になってあわ立てた。
泡で身体を隠すのが先か、それともヤツの存在をもう一度確認すべきか…!?
冷静になろうと思いつつしっかりパニックを起こしていた俺は、そのまま泡立てた手ぬぐいで身体を擦りながら変態の気配を感じた方向に向かって足を広げていた。
丁度見えるか見えないかの角度…変態なら間違いなく我慢できずに飛び掛ってくるはずだ
「ぅ…!」
小さいが忍の耳は確実にソレを捕らえた。…確かに駄犬の声だ。
いる!絶対に間違いなく…俺の、背後に…!?
冷や汗が凄まじい勢いで俺の体を流れていったが、奇妙なことに、駄犬は襲い掛かってこない。
いつもなら一瞬にして服を脱ぎ捨てて執拗に変態行為を強いるはずだというのにだ。
その後も身体を洗い流しながら、変態の方向にやむを得ずケツを向けたときや、タオルをうっかり落としたときなどにも生唾を飲み込むゴクリという音が響き渡ったが、ヤツが茂みからでてくることはなかった。
俺が、全身きれいに洗い流し終えるまで。
「とりあえず…襲ってはこない…か?」
汗を軽く流すだけのつもりだったが、変態の反応を探るために必要以上に時間をかけてしまった。
…だが、流石にもう身体を洗い続ける気にもなれないし、目の前の温泉を我慢する気にもなれなかった。
自分では絶対に来られないであろうこんな宿、そして泉質も良くかけ流しだという温泉。
俺は腹を括った。
それでも股間のタオルは内風呂だから許してもらうコトにして、戦々恐々としながら温泉にゆっくりと体を沈めた。
こうなれば、もはや意地だ。
久しぶりに手に入れた穏やかな時間。それを手放す気など毛頭ない。
…まあその駄犬が主に俺の穏やかな生活を乱す原因なんだが…。
「…んっ…んっ…」
早速激しさを増した不穏な物音と、小さく喘ぐように漏れ聞こえる湿った声は気のせいだと思うコトにする。
「はぁ…いい湯だな…!さすが三代目が勧めるだけはある…!」
庭の木々は良く手入れされていて、美しい花や青々と茂る茂み…まあ、一部なんかゆさゆさゆれてるが…とにかくだ!こんなにイイ所何だから…!
「ぁ…っぅ…っは…っ」
なんで…なんでこんなにすばらしい空間でこんな声を聞かされなきゃいけないんだ…!
どうせ潜むなら全力で顰め!駄犬のくせに上忍のくせに変態のくせに!
心の中で激しく駄犬を罵倒したが、それでも起こりつつある自分の変化を誤魔化せなかった。
意味が分からない。自分でも信じたくない。
だが壁に囲まれているせいか良く響くかすれた声と明らかに何をしているか分かる水音のせいで…なぜか腰の辺りがもぞもぞしだしたのだ。
耳元でアノ時に聞こえるのと同じような声というか吐息というか…あんなものを聞かされて、脳がおかしくなったのかもしれない。
とにかく、このままじゃ寛げないばかりだし、それ以上に流石に俺が反応してるってわかったら何らかの理由で自重してるらしい駄犬だって…!
どうしてこんな気分にならなきゃいけないんだ!
そう叫びたいのを押さえ、だんだん激しくなる音から逃げるように部屋へ駆け込んでいた。
駄犬の発生が確認された以上、さっきまでのようにくつろげるはずもなくて、急いで張りなれた結界を張った。
…効果が無いのは知っているが、これで中に進入されたら分かるはずだ。
揺れる茂みの様子だと、あの後すぐに…えー…とにかくひと段落したはずだ。
そしてヤツは一回で終わったためしなどないのだから、俺は正に危険地帯の真っ只中に入ると思っていい。
警戒を緩めず、俺は駄犬の気配を探りながらその時を待った。
…だがおかしなコトに、結界が破られる気配が無い。
それだけではホッとすることもできなかったが、気が緩んだのは確かだ。
そして…。
「くそっ…なんで…!」
駄犬を警戒している間はまだましだったが、こうなるとさっきの熱が途端に意識からはなれなくなってしまった。
せめて少しでも収まってくれていればいいものを、勝手に盛った下半身は一向に冷静さを取り戻す気配がない。
ここまできてしまうとこのまま我慢しても、恐らく散らすのは無理だろう。
だが、駄犬はいる。確実にこの部屋の近くに。
こんな状況でも、俺の脳は勝手に冷静な判断を下していた。
「トイレ、なら…!?」
部屋の奥まった所にあり、しかもプライバシーに配慮してか、駄犬が覗けそうな窓はない。
気休め程度に一応だが、頑丈な結界も張ってある。
結局、俺も下半身の熱に振舞わされるって点ではあの駄犬とそうたいして変わらないんだろうか…。
気分が落ち込む割に静まらない熱を持て余して、トイレの扉を閉め、さらに結界も張った。
こんな状況でも萎えない自分の息子に涙がでそうだが、とにかく出してしまえばいいだけの話だ。
もっと若い頃は戦場でどうしようもなくなったことがあった気もするが、この年でこんな状況に陥るなんて思っても見なかった。
適当に羽織っただけの浴衣の前をはだけ、情けない気分でトイレットペーパーを巻き取って準備した。
後は機械的にこすってだせばいいだけだ。
空しさを感じていられたのも短い間だった。意を決して刺激しだせば、興奮しきっていた自分の下半身から痺れるような快感が走り、手の動きは意識しなくても激しさを増した。
白くはじけるような快感が少しずつ理性を奪い、それから…脳内で勝手にあの声が再生されて…。
「ぁ…っんんっ!」
思った以上に早く目的は果たされた。
焦った時ほど処理できないものだが、なぜか…なぜか肌に突き刺さるような何かを感じて…。
荒い呼吸を何とか整えようと息を吐くと、自分以外の呼吸の音が、確かにした。
背筋がぞくっとした。俺は、もしかしなくても…!
だが、確認はしなくてはならない。
そっと…視線を上げるとソコには。
「ひっ!」
赤くギラついた瞳が確かに俺を見ていた。…一瞬で消えたがあれは間違いなく…!
とんだホラーだ。それに…なんでこんな醜態を駄犬にさらさなきゃいけないんだ…!
妙にすっきりした腰の辺りを情けなく思いながら、手早く後始末をすませた。
独り身が長かったから手馴れたものだが…そういえば自分でするなんて駄犬に強要されたときくらいで…いや!思い出すな俺!
こんな状況だ。
俺はせめて必死で楽しい事を思い出そうとしたが、結局…涙目になりながら一人、部屋で膝を抱える羽目になったのだった。
恐怖と羞恥と混乱で頭を一杯にしながら。
*****
しばらく落ち込んでいたが、少しでも落ち着こうと淹れた茶を飲むと、思ったより喉が渇いていたらしく、思わずがぶがぶ飲み干してしまった。
水と茶がいいっていうのもあったかもしれない。
とにかく…そのお陰でやっと少し冷静になれた。
駄犬があんなに好きだらけの俺を襲ってこなかったってことは、三代目がなんらかの処置を施しているか、もしくはヤツがこれをプレイとして楽しんでいるかだ。
つまり前者の場合はここにいる間は駄犬の視線だけと戦えばいいというコトで、後者の場合も恐らくヤツのプレイに対する熱意が相当なものであるはずなので、似たような状況だ。
…まあ、ヤツの自制心は相当もろいので、後者の場合はより警戒が必要だが。
とにかくだ、こうなったら割り切って自然体で過した方がいいだろう。
そう開き直ると、急に胸の支えがとれた気がした。

そうして…俺は意識からすっぱり駄犬を締め出して楽しむことを優先することにしたのだ。
手配してもらった飯を食べながら、この辺りのお勧めの土産やら散歩がてら楽しめる所などを紹介してもらったし、温泉水で作ったという変わった御菓子も食べさせてもらった。
…まあ、その間中じっとり着いてくる駄犬の気配を感じ続けはしたのだが。
ヤツはじっとり見つめるだけで、襲っては来なかった。
最も警戒した夜中も気配はするが、いきなり覆いかぶさってきたりということはない。
結界も効果がないことを思い知っていたので、眠り込んでいる間に何かされはしないかと不安だったが、着こんだ浴衣は自分の寝相のせいで乱れた程度にすぎなかった。
これは、凄いことだ。あの駄犬が…いつだって俺まっしぐらな駄犬が…!
もしかすると…待てを覚えたのかもしれないのだ。
三代目にどんな手を使ったのかを教えてもらえれば、俺の未来はより一層明るいものになるかもしれない。
だが、同時にこみ上げる不安を否定することも出来なかった。
見つめられれば、あの熱っぽさに浮かされてしまう。
それは…体があの駄犬に変えられてしまったということなのか、それだけじゃなくて一瞬感じたあの寂しさによく似た感情は…!?
「冷静になるために来たのに…くそっ!」
混乱する思考に振り回されて、これじゃ…折角ここに来たってのに里にいる時と何も変わらない。
いや、里にいるときよりもっと酷いかもしれない。
襲ってくるアレに振り回されて、物を考える余裕よりもとっさの防衛に集中していたが、ここは静か過ぎて考えることばかりが多いから。
そうだ…もう、いっそ。
俺はかけ湯もそこそこに、ざぶざぶと乱暴に足を突っ込んだ。
こんな時でも湯の温度は熱めで心地良い。
それなのに、こんなに最低の気分でいるなんて、もう終わりにしたい。
「駄犬、いるなら…出て来い!」
我ながらドスの聞いた声だ。アカデミー生ならちびるくらい苛立ちのにじみ出た低い声は小さい割りに良く響いた。
しんと静まり返った茂みからは、気配は感じられない。
だが、わかる。あいつはいる。すぐそこに。
気配じゃない、何度も経験したあの存在感。ねっとりとした視線、それから…覚えのある曖昧な何かが、駄犬の存在を教えてくれている。
どうやらまだ観念する気はないらしい。
俺は、最初に宿に着いた日以来、ずっと腰に巻くようにしていたタオルを一気に脱ぎ捨てた。
「…っ!」
反応はあった。やはり予想通り駄犬はすぐ側の茂みに潜んでいるようだ。
往生際の悪さは流石上忍ってトコだろうか?
だが、所詮駄犬は駄犬だ。これで出てこないなら…次の手を打つまでのこと。
「出て、こないのか?…そうか。俺のことはもう諦めたな?なら帰ったら喜んで離婚届に印をついてやる」
いっそその方がすっきりするが、これなら間違いなく…!
「そんなの…そんなのいやですぅぅぅぅぅ!!!」
迷いなく一直線に俺の股間にへばりつき、ドサクサにまぎれてすりすりと顔をこすり付けるその手には、しっかり俺の股間を覆っていたタオルが握られている。
もちろんついでとばかりに俺のケツを揉むことも忘れていない。
…間違いなく駄犬だ。
「やっぱり…いやがったか!?」
変態を捕らえるコトに成功した嬉しさとやっぱり間違いなく駄犬が着いてきていたコトに対する怒りで、俺は駄犬を踏みつけてやった。
当然の事ながら効果はなかったが。
「うぁっ…ああん…!ふ、うぅ…っイルカの足…足ぃ…!!!」
むしろ…興奮で前を膨らましながら鼻水と涙を零し、ついでにヨダレも零しそうになる勢いだ。
快感に染まり、だが眉を寄せて堪えるようなその表情に呆れると共に…俺はどこかでほっとしていた。
駄犬が駄犬であるコトに。
「待ては続行だぞ?駄犬。三代目は貴様に着いてくるなといったはずだ!」
そうだ。今回に限っては絶対に駄犬は俺の前の前に現れてはいけなかったはずだ。
それが…変態の激しく怪しい存在感のせいか、あっさり見付かってしまったが、三代目だってきっと絶対に止めたはずなのに。
その答えは駄犬自身が教えてくれた。
「だ、だってぇ…!イルカ先生から離れたら…生きていけないんです…!」
こぼれる涙を拭おうともせずに俺の尻にへばりつき、当然のように股間にもふれようとしている。
いつだってこうやって俺に、俺だけに依存するこの生き物。
そうだ。この生き物は…俺が望むと望まざるとに関わらず、俺だけのために存在している。そう思えば…ある程度は諦めがついた。
それから、今回の駄犬の目覚しい進歩から、将来への希望も持てた。
「待ては、一応出来るようになったようだな?その辺は評価してやる。いいか!今後も俺の指示には従え!駄犬!」
「はい…我慢…我慢…でちゃう…っ!
…まあここまでは流石に許容できないが。
股間を丸出しにしたまま切なげに身悶える駄犬は、うっとおしいことこの上なかった。
「ちっ!…勝手に俺をみて興奮していたようだが…それは自分で勝手に何とかしろ!俺はゆっくり温泉を楽しみにきたんだ。一人でな!」
眼下に広がる見慣れすぎた光景から視線を逸らし、やっと大っぴらにコイツを追払って温泉を楽しもうと思ったのだが。
「ん、もう我慢できません…っ!見、見られてる…!」
はぁはぁと呼吸を荒げた変態は、当然のように己の下肢に手を伸ばした。
いつだって無駄に器用に動く手は、俺のを弄るときと同じようにせっせと動き、そそり立つこれまた無駄に立派な物体からは既に欲望の証が滲み出している。
「イルカ、せんせ…っ!」
その間も駄犬は切なげな声で俺の名を呼び、じっと俺を見上げている。
あの、俺がどうにかして逃げ出したかった視線で。
どうしてか…視線が駄犬から逸らせなかった。とんでもない行動をしてるって言うのに、その声もその視線も…俺の足を釘付けにして身動きが取れない。
自分でも訳が分からないのに、背筋をゾクゾクと何かが走って…眩暈がした。
だが、俺は自分の目的を忘れてはいなかった。
だから…せめて出来るだけ冷たい視線を装って煽ってやった。
「…しつけの悪い駄犬が喚いてるのは不愉快だ。俺は上がる勝手にしろ!」
駄犬ならこれくらいが丁度イイだろう。予想通り俺の声に罵倒されただけで、変態は嬉しそうに甘い吐息を吐き出した。
「…ぅっぅ…イルカせんせぇ…っ!」
その声に追い立てられるように、タオルを慌てて巻き、震える足を叱咤激励して歩こうとした。
だが、足元にはいつくばってる駄犬の吐息が足首に絡みつき、それに思わず妙な声が漏れた。
「…んっ…!」
甘く掠れたそれが自分から漏れたなんて信じたくなかった。
当然、それだけで駄犬が我慢できるはずもなくて、おずおずと伸ばされた顔は俺の足に向かって、それから…ぬるりと、何かが俺の足を這った。見なくてもわかる。これは駄犬の…!
この変態が!人の足なんか舐めやがって!
そう叫びたいのに、もっと別の感触がその言葉を遮った。
「イルカ…せんせ…っ!」
感極まったその声を合図に、俺の足に湿った熱い飛沫が飛び散り、むわっと嗅ぎ覚えのある青臭い匂いが広がった。
ぞっとした。
駄犬の吐き出したものを掛けられたコトにじゃなく、そんなコトで自分の股間まで反応し始めたコトに。
「うぅ…くそっ!」
もしかしなくても、俺はもう取り返しのつかないコトになってるんじゃないだろうか?
そんな恐ろしい事は、深く考えたくなかった。
とっさに駄犬を睨みつけたが、当の本人は満足げに甘い溜息をつくばかりだ。
…その無駄に整った顔に、はにかんだような笑みを浮かべて。
「はぁ…気持ちよかった…!あ、でもぉ…!ちゃ、ちゃんと約束どおり触りませんでした…!」
舐めただろうが!とか、飛びついてきてケツだの胸だの撫でまわしたのを忘れたのかとか、叫ぶ余裕は俺に残されていなかった。
駄犬の誉めてほしそうな視線は、抜け目なく俺のタオルに覆われた股間を見つめている。
…気付かれる前に何とかして逃げたかった。
「ついて、くるなって…!」
駄犬にさりげなく背を向けたまま、自分でも力の入っていない声で命令したが歩けない。
張り詰めた前が、普通に歩くことさえ難しくしているし、それに…。
「ね?イルカ先生も…シテ、いいんですよ…?」
白いもので汚れた下半身を隠そうともせずに、駄犬が俺を見つめてこれ見よがしに舌なめずりしてみせた。
ずくんっと己の下肢が疼くのが分かってしまった。こんなことでなんて信じたくないのに。
「俺、は…!」
「誰も、見てません。俺だけ、俺だけです…!」
はしたなくも腰に巻いたタオルを押し上げるものが、切なげに言い募るその声に素直に反応した。
懇願する視線は欲望に染まって、それだけでも俺を追い詰める。
「できるか…!」
今度こそ、とっさに部屋に逃げ込むことができたのは奇跡だと思う。
足にまとわりついたそれを拭うことも流すことも出来ずに、脱衣所にへたり込むことしか出来なかったが。
だが、駄犬は声だけで追いかけてくる。
「ね、恥ずかしい?なら…声だけ。そこもう痛いでしょ?でちゃいそうなんですよね?そんなに大きくしちゃって…!俺の見て、我慢できなくなっちゃったんですよね…?」
唆す声は悪魔のように甘く蠱惑的で、限界まで膨れ上がった俺の欲望はそれに抗うより開放を求めている。
震える手で、自分のそれを握った。僅かに触れるだけで背筋が震えるほどの快感が走るのは…駄犬の、せいなのか…?
欲望に鈍った思考でも分かる。一人身で長いこと生きてきて、自分で触れるだけでこんなに…こんなに訳のわからない位快感に溺れることなんてなかった。
あんな、主人の命令も守れない駄犬なのに、声だけでこんな目に合わされるなんて…!
「く、う…っ!」
それでも、今はこれを何とかしたくてたまらなかった。こうなれば吐き出すまで楽にはなれないのだからと、己を誤魔化しじわじわと全身を支配する欲望に俺は負けた。
…もう我慢なんてできない。
「熱いでしょ?震えちゃって、苦しそうでしょ?…ほら、もうちょっとですよ…?…!」
脱衣所のドア越しに駄犬が囁く、まるで俺の耳まで犯すように。
「ふぁ…っ」
視界が白くちかちかと光り、絶頂の波はひたひたと近づいてきて、その声に抗うことなどできはしなかった。
「イルカ先生。愛してます…っ!」
「ん、んんー…っ!」
感極まった駄犬の声で、ついに俺は吐き出してしまった。
射精の後の急に目が冷めたような開放感はなく、ただ痺れるような快感がまだくすぶり俺の身体を虚脱させる。
まだ足りないと。
「気持ち、良かったですか…?大好きなイルカ先生に触れられなくてすっごくすっごく苦しいけど…!イルカ先生が気持ちいいなら俺は…!」
「そんな…俺はお前とは違う…!変態なんかじゃ、ない…!」
訳が分からない。駄犬のいうコトなんて信じない。俺は…!
「ふふふ…イルカ先生は敏感だから…ね?」
「ふっ…うぅー…っ!」
変態の嬉しそうな最低の評価に、混乱ばかりだった俺は情けなくも涙を零していた。
もうイヤだ。なんでこんな目にあわなきゃいけないんだ…!?
「ああ、泣かないで…!今は舐めてあげられないんです…!だから…!」
情けない声でそんなコトを言うくせに、どうせこの駄犬は俺のことなんて分かっちゃいないんだ。
そうだ…だったら、わからせてやればいい。
思えばこのときもう少し冷静になれればよかったんだ。だが、すでにこのとき俺の脳は沸騰するような思考で満たされ、駄犬に責任を取らせることで一杯だった。
「うるさい!こっちに来い!駄犬!」
俺は、自分から災厄の元凶を自分の側に呼び寄せていた。
しつけは粗相をしでかしてから、すぐじゃないと駄目だからななんて思いながら。
「え!で、でもぉ…!」
駄犬なりに罠を警戒してか、むしろ単に降って湧いた幸運にもじもじと喜びを表現して見せたか…とにかく扉の前で逡巡した。
それは俺をイラつかせるだけだったけれど。
「いいから来い!…許可なく触るなよ?」
扉を蹴るように開けると、駄犬は…ほぼさっきの状態のまま…というか、股間の汚れは増量され、ついでに股間の角度はさっきより鋭く立ち上がっている所を見ると、俺と一緒にろくでもないマネをしていたに違いない。
潤んだ瞳をキラキラと輝かせ、真っ直ぐに俺に向かって飛びつこうとしやがった。
「は、はぁい!イルカせんせぇえ!」
「黙れ!座れ!」
「はい!」
当然俺が足蹴にすると、駄犬は一応わきまえたのかきちんと犬すわりをしてみせた。
「…いいか?駄犬。お前は…俺のだ。だから俺の命令は聞け。今日みたいにちゃんと約束を守れるなら…もうちょっと大事にしてやってもいい」
本当はこんなことを言うつもりなんてなかった。
だが、一応駄犬はある程度の節度をみせた。まあケツも胸も股間も触られたが、あの状況で我慢できたのは誉めてやるに値するだろう。
…次に繋げるためには、これは必要な行為であるはずだ。
そう思ってしまった。一見して健気に見える瞳に、態度に、それから自分でも理解できない感情に押し流されたてしまったから。
「は、はい…!でも、イルカ先生にはすっごくすっごく大事にされてますから…!俺、幸せです…!!!」
俺の言葉は、駄犬にとっては予想外のものだったらしい。
涙と鼻水と…それから股間から考えたくもない液体を滴らせながら、嬉しそうに俺を見上げている。
目を細め今にも転げまわりたそうな…まさに駄犬の顔で。
なぜかそれに訳のわからない満足感を感じる己が恐ろしかった。
「…くっ…!まあ、いい。俺は飯食って寝る。お前も…ちゃんと休め」
とにかく、特別扱いはここまでだ。
俺は、少しでも冷静になるためにここにきたのだからと、さっさと混乱の原因を追い出すコトにした。
「はぁい!…大好きです…!イルカ先生…!帰ったら…触れても、いいですよね…?」
はっきり言って自分でも中途半端な情をかけてしまったと反省したが、駄犬は嬉しそうに俺への愛を囁き、不安そうに上目遣いで許可を求めた。
「…ある程度ならな。俺の命令を聞けるなら…考慮してやらんでもない」
そんなものに折れちゃいけなかったのに、俺の口からは勝手にこんな言葉が零れ落ちていた。
そうだ。少しなら。この疼くような扱いにくい熱を散らすのに使ってやってもいい。
そんな傲慢な思考で己の行動を必死で誤魔化していると、駄犬は期待で一杯の瞳で俺を見つめて…それから一瞬で視界から消えた。
「えへへ!すっごくすっごく…楽しみにしてますね…!!!」
なんていう捨て台詞を残して。
「ちっ!」
胸がざわつく。あんな駄犬ごときに訳の分からない理由で。
俺は…温泉宿でとんでもないことをしてしまったんじゃないかと苦悩しながら、それでも今までになくしつけが上手くいってるんじゃないかっていう希望を感じた。
そして…なぜか変態を思うだけで奇妙にざわつく胸を、不安と共に押さえたのだった。

因みに…里に帰って来てからの事は…思い出したくもないってことだけを追記しておく。
駄犬はやっぱり駄犬だ!

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という訳でどういうわけだかこんな代物になったってばよ…!?
里に帰ってから変は…間に合わないよ!ニーズは…あるのか…!?
あー…うー…えー…一応!ご意見ご感想などお気軽にどうぞー!!!

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