追うものたちの哀歌


 追いかけてくる男を振り払うように全力で走っていた。
 足をかけた枝が折れそうに撓るのは、それだけチャクラを込めて駆けているせいだ。ここは里内でそれも追っ手は同じ里の忍だというのに、任務並に集中して逃走経路を探り、当然のことながら気配断ちもしている。幻術に目くらましのトラップまで仕掛け、分身でかく乱しながら逃げているというのに距離が開く気配は全くなかった。むしろすぐそこにまで迫る気配に、いっそ叫びだしたい気分に駆られた。
 …アンタ一体なんなんですかと。
 逃げられないのだと最初から分かっていた気がする。
「いた!あんたなんでそんな本気出して逃げてんの!」
「逃げますよ!当ッたり前でしょうが!」
 逃げなければ何をすると言ったのか、この男が覚えていない訳がない。その上でこんな台詞を吐くのだから、頭がどうかしている。
「いいから、さっさと諦めたら?」
「嫌だっつってんだろうが!」
 もう視認されている。気配をこれから消しても追ってくるのは間違いない。それに薄っすらとだが、この真剣な追い詰め方からして、既に自分の持ち物か何かに細工された可能性の方が高い気がしてきた。
 犬使いの男の使いそうな手としては、匂いか。
 幸い水遁は得意だから水で匂いを消すという手もある。
…だが、それで振り切れるだけの隙が作れる気がしない。
「ねぇ。いいじゃない。もう」
 にじり寄る男。その手につかまればもう二度と逃げられない。…選択肢はいつだって限られている。
「嫌です」
 間髪いれずにトラップを発動させた。
 一つ動けば次々と連鎖するそれは、あっという間に掛かったターゲットを縛り上げる。本来なら捕縛専用の罠だが、ちょっとした細工済みで、引っかかったら最後身動きが取れないばかりでなくチャクラも封じられる。三個目までは交わされたが、それ以降には順調に引っかかり、どうやらなんとか動きを封じることくらいはできたようだ。
「やりましたね?まさかこうくるとは」
 これが幻術じゃないって保障はない。余裕たっぷりに笑ってる辺り本体のような気はするが、とにかく油断はまだできないことだけははっきりしている。
「アンタが変なこと言い出すからでしょうが!」
 そうだ。この男があんなことを言い出さなければ、俺はただいつも通りに過ごすことができていたはずなのに。
「ずーっとはぐらかすからでしょ?俺は返事が欲しいと何度も言ったはずだ」
 こっちこそそんなことには応えられないと、そう返事をしたはずなのに。何度も。
「返事は、しました。アンタの言うお付き合いなんてものに、俺は付き合いきれないんですよ」
 友達というのは無理があるのは知っていた。ただそれでも一緒にいるのは楽しくて、階級も育った環境も違う新しい知り合いとの付き合いが、長いものになれば良いと思っていた。…いきなり押し倒された日に、そんなものは全部ふっとんだんだけどな。
「ならなんで逃げないの?初めてでしょ?今日が」
 そうだ。あの日はぶん殴ってこういう冗談は笑えませんと、そう正直に言って、全部終わりにしたつもりだった。
 …それから何も言わないから。付き合ってと冗談めかして言う以外態度が変わらなかったから、だから俺は。
 いきなりこの男があんなことを言い出すまで、なかったことになったと思ってたんだ。
「アンタが、なんでそんな風になったのか俺にはわかりません。俺は男です」
「そうだね。だから?」
「捕まえたら俺のモノとか…!なんでそんな話になるんだってことですよ!」
 いきなり愛してるだの、もう逃がす気はないだの、そんな話を聞かされたって困るだけだ。嫌なら逃げろと言ったから逃げたのに、なんで詰られなきゃいけないんだ。
「だってイルカ先生、本当は分かってるでしょ?」
「何がですか」
 何もかもが分からない。俺には。なんでこんなことになったのかも、なんでこんな状況で暢気に話しかけてくるのかも、なんでこんなに腹が立つのかも。
「欲しいモノが手にはいったんだから、細かいこと気にしないで自分のモノにしちゃいなさいよ」
「欲しいモノなんて。何の話ですか…」
 いつも分かり辛い遠回りな言葉ばかり選ぶ人だ。でもいつだって俺の言葉をちゃんと聴いてくれた。ふざけたような態度とは裏腹に、真剣に。だから、ずっと一緒にいられたらと思ったのに。
「ちょーっとこっち来て?」
「嫌です。アンタ相手に油断できるわけないでしょうが」
 すこぶるつきの腕利き相手に、わざわざのこのこ捕まりに行ったりはしない。流石に抜けていると称される俺でもそれ位の判断はできる。
「いいから、手とか足とかきっちりここまで縛り上げといて何もできるわけないでしょ?」
 でも、それも事実だ。幻術ならとっくに俺を捕まえているはずだ。この男ならそんなこと赤子の手をひねるより簡単なはずだから。
「なんですか」
「…ねぇ。今、動けないでしょ?俺」
「ええ」
四肢の自由を奪うための仕掛けなんだから当たり前だ。…それのどこがこんな風に余裕たっぷりに笑える話なんだ?
「捕まえたのはあんたです」
「…で、だからなんですか!いい加減にしてくれ!」
 終わりにしたいんだ。この訳の分からない苛立ちを。怒りを。
「だからね。アンタも熱烈に俺のこと好きなんですって。いい加減自覚してくださいよ?」
 言うにこと欠いて、何を言い出すんだこの男は。
「なんでそうなるんですか!アンタが勝手に…!」
「訳がわからないって言ってましたよね。じゃ、これでどうです?」
「なに、を」
 聞きたくない。…恐い。
 俺を一から全部変えてしまいそうなこの男が。
「アンタが俺を逃がさないで?ずっと捕まえててくださいよ」
 そうしたら、俺の全部がアンタのものですよ?
 そう言って男はにんまりと口の端を持ち上げて見せた。
 この男が俺のモノになるなんて…馬鹿げてる。
 俺も男も里のモノで、忍で男同士で、絶対に俺だけのモノになんてならないくせに。
「うそつき」
 声が涙で掠れてひどくみっともなく聞こえた。でも、それでも男を詰りたくて、言葉が出てこなくて、それが情けなくて息を殺して泣いた。 中途半端なモノで諦めるくらいなら、最初から何もいらないんだよ。
「アンタの独占欲、俺と張りますよ?世界の全部より俺が欲しいんだから、もう諦めなさいって」
 ほら、やっぱり。アンタはうそつきだ。
 縛られたままの腕がゆっくりと肩に周り自分まで縛り付けられる。まるで最初から一つだったみたいに。
「アンタ、俺のモノですから。俺のが先に捕まえたんだからもう俺のです」
 泣きながら宣言してやったら、望む所だと笑み崩れた男がキスをくれた。 なりそこないの狩人が追うのは、永遠に捕らえられないお互い同士だ。絶対に満足できないと分かっているのに望んで罠に落ちた男と、追い詰められた俺じゃ分が悪い。
 最悪にして最高の罠に捕まったのは、どっちだったのか。
 嘆きの割りに甘すぎるキスに、とりあえず溺れてしまうことにしたのだった。


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