「暑くないですか?」
 受付でぼんやり報告書の処理を待っていたら、そう問いかけられた。
 意識せずにいたから気付かなかったが、よくよく見れば見知った顔だ。
たしか、うみのイルカ。
中忍で、狐憑きと呼ばれるほど九尾を宿した子どもに入れ込んでいる。
何度か護衛を命じられたこともあるが、こうして直接顔を合わせるのは初めてかもしれない。
護衛対象と接触しなくても、敵の排除はできるしね?
真っ当すぎるほど真っ当で、忍には向かない。
そう評して嘆く里長の目は節穴だ。
…こんな男こそ忍に向いている。
確かにこの中忍は敵であっても切って捨てることを躊躇い、時には嘆くこともあるだろう。だがこの男はそれを自己憐憫に変えない強さがある。
素直で好奇心旺盛に見えても、それだけじゃない。それはこの所命じられてこの男を見ていたせいで良く知っている。
禍々しい狐を宿す子を、それと知って体を張って守ろうとする強さを。
後先考えずに挑発に乗って食って掛かる所は頂けないが、そんな状況にあっても自分や子どもへのダメージを最小限に抑えるだけの実力があるのだから、忍としては上等な部類に入るだろう。
この男になら背を任せても裏切らない。そう信じさせるだけのものがある。
己のための血を流すことは決してしないだろうが、仲間のためには己を盾にするだろう男が、あぶなっかしくもあるのだが。
それから、情に流されやすそうな所も。
こういう人って利用されやすいしねぇ。…たとえば上層部とかにも。
「暑いですねぇ」
気温は確かに暑いという以外言いようがない。うだるような暑さに、依頼人も早々に手土産を処分させたほどだ。
生首なんてこの時期に持ち歩くの結構大変だったんだけどねぇ?
とはいえこの気温の中で死体がどうなるかなんて分かりきってるし、ある意味順当な判断だと言えるか。
最初からこんなもの持ってこさせなけりゃいいのに。早く確実に殺せと息巻いていた依頼人はそこまで考えちゃいなかったんだろうけどね。
それにしても随分と受付が空いている。瞳を鋳溶かしそうほど暴力的な光を本能的に避けているといわれても納得がいきそうなほど、今日の暑さは一際だ。
 忍は一般人が信じるほど闇を好まないが、息をするよりも自然に身を隠すことはする。そのせいか強すぎる陽の光は、全てを暴きたててしまいそうな気がして苦手なのも事実だ。
 ま、単に任務終了には早すぎて、受け取りにくるには遅すぎるってとこだろうけど。
 暑いせいかねぇ。我ながら随分と感傷的だ。
「あー…こりゃ大変でしたね」
報告書を見て受付にいた中忍がわざわざ声を掛けてきたのも、この人気のなさのせいだろうか。
普段なら笑顔で、だが手早く報告書を処理していくのを知っているだけに意外だった。
「そ?」
何がこの中忍にひっかかったのか読めず、かと言って聞き出す必要性も感じなかった。ただ普段より長く接したことで、この男が存外子どもっぽい顔で笑うことを初めて知ることができたのは収穫だったかもしれない。
…相手は男だってのにねぇ。
「重いし、匂い消しも面倒だし。それなのに燃やせとは。…本当にお疲れ様でした」
 鬱陶しい仕事の結果としての死を語る男に目を見張った。それも憤懣やるかたないとばかりに同情までしてくれている。
 …この男はその手の話を厭うものかと。
 思った以上にこの男は忍らしい。早々に人の生き死にを割り切れる者だけが生き残れる世界だ。男がそうであっても不思議ではないが、三代目の気に入りと聞いていたからてっきりその手のことからも遠ざけられてきたものと思っていた。
「ま、本当にやったのかとかごねられるより楽だしね。あなたもお疲れ様」
 受付に日がな一日座ってこの手の書類を確認し続けるのは苦痛だろう。少なくとも自分は苦痛だ。こんな自分の流した血を再確認されるような仕事は。
短い間ならまだしも延々とこの手のことをやらされるのはごめんこうむる。
 それを気遣いまでしてみせるのだから、この男は筋金入りのお人よしなのかもしれない。
「ありがとうございます。こんなに大変な任務をこなしてきた人に言われると、なんだか申し訳ないですね」
恥ずかしそうに鼻傷を掻き男が笑った。
たったそれだけのことに、心臓にクナイをつきたてられたような痛みが走った。
「そりゃどーも」
駄目だ。この男はきっと太陽よりもずっと自分を弱らせる。
それなのに欲しいと思うことは止められないのだ。
自覚などしていないだろう。…闇を引き寄せる己の性を。
「では、また。お気をつけて」
 また、か。
次に会うのはいつになるだろう。…いつまで己を押さえ込むことが出来るだろう。
「じゃ、また」
 己を戒める理性は疾うに軋み、緩みかかっている。終わりはすぐに来るだろう。
 そのときも、この男は笑ってくれるだろうか。逃がさないと告げて、この思いで縛り付けても。
「暑いねぇ。全く」
 全ては、きっと暑いせいだ。
 この暑さが狂気すらも溶かしてくれることを願って、光の降り注ぐ外へと足を踏み出した。
 手遅れだとあざ笑う己の中の闇から目をそらすために。


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