「イルカせんせ!」
「あーはいはい。報告書ですね」
 差し出された紙を受け取ることは、本来なら簡単なはずであり、もっと言うならこんな風に熱っぽい視線を浴びせられるようなもんじゃない。
 …どうしてこの人はこうなっちゃったんだろうな…。
「やっぱり長年のストレスが…」
「せんせ?」
 小首をかしげて乙女のように可憐に振舞うのは、だがしかし疾うの昔に成人した上に、すでに三十路に差し掛かった男だ。
 …まあ、ここまではいい。女体化任務の後、しばらくオカマっぽくなるのはよくあることだ。
平気だとはいえないが、受付職員として動揺するほどのものじゃない。
それに理由がどうあれ、受付業務も任務だ。
 この人はまたそういうのとは違う理由な気がするとはいえ、気にしていたらきりがない。
 まあガイ先生がそうなったときは、鉄壁の笑顔を誇る受付職員でも流石にえずく者が続出したっけな…。大抵の上忍は即座に切り替えることができるから、そういう意味ではめったにないことではあった。
むしろわざとやってんじゃねーかという叫びが受付忍の控え室に響き渡ったくらい、上忍では珍しいといえば珍しいというか…。
上忍の中でも群をぬいて暑苦しい…もとい、野太く男らしい声の鍛え上げられた肉体を持つ男から、ありがとぉーねぇんなどといわれるのは、金輪際ごめんだという連中が大半を占めた。
女性職員には意外なことに好評だったのが理解しがたいほどに。
一瞬遠い目をした自分に気づいたが、上忍の方はといえば、紙切れ片手に所在なげにもじもじと身をよじっている。
 さっさと片付けてしまわなければ。この男からこの紙切れを受け取らなければ、どんなに低ランクのものであっても成立しないのだ。
 今更逃げたって無駄だよな…。
「確認させていただきます」
「はい」 
やたらとかわいらしく微笑む男には気づかないフリをして、ともかくさっさと受け取った。手にとって、相変わらず丁寧に仕上げられたそれをきちんと確認していく。
 わかりやすく整った字を読み進め、抜けているところがないのを確認してから、受領印を押した。
 後はこれをこの男に押し付けるだけ…のはずだ。通常なら。
「確かに受領いたしました。お疲れ様です」
「イルカ先生。…もっと御褒美くれないんですか?」
この男はきれいな顔をしている。
かといって別に女性的な顔をしているわけじゃない。
…そんな男に、ちょっと拗ねた顔で褒美なんか強請られても、普通は嬉しくもなんともないはずだ。
少なくとも俺は嬉しくない。たとえこの男が、里中のくノ一に熱い視線と羨望を向けられているとしても。
「手、出しなさい」
「はーい!」
 こんなこともあろうかと、懐から取り出した飴を手のひらに落としてやった。
 きらきらと輝くそれは、それこそアカデミーで御褒美にと渡すこともあるものだ。
 これまでは一番貰っていたのがまだ下忍で手のかかるこの男の部下だったんだが、いまやそれよりずっと年上のこの男が、一番貰っているかもしれない。
「よくがんばりました」
「ありがとうございます」
 あ、また頭下げやがった。お辞儀じゃないんだよな…。
机の端に手をかけてしゃがみこんだから、頭のてっぺんだけ机の端から見えて、まるでそこからへんてこな生き物がもさもさ生えてるみたいに見える。
 ここで俺はいつもしばし葛藤する。
 こうしてかまってやるからこの男が変な習慣を身に着けちゃったんじゃないかと。
 でも、だがしかし。
 ふわふわしたしろっぽい生き物の手触りは、驚くほどいいのだ。
 結局、どうせ放っといてもいつまでもいつまでも、頭の悪い犬のように待っているとわかっている上忍の頭を、俺はいつも通りに撫で回してやった。
「ふふ…」
 撫でているうちに幸せそうに目を細め、もっともっとと頭を押し付けてくる姿に、いつも受け付けの時が止まるんだが、この男は欠片も気にしちゃいないだろう。
 最初の頃こそ、くノ一に詰め寄られるわ、知らない男の上忍に泣きつかれるわで散々だったがもうなれた。
 というか、周囲の皆さんの方が先になれた。アレはいってもしかたがないってな。
 むしろ今度は同情とか、嘆きのたっぷりつまった愚痴に付き合わされることの方が多い。
 それでも今までは仕事中だし、曲がりなりにも俺は中忍なんだしと、それなりに自重してきた。
 でもなー?さわり心地いいんだよ。遠慮してるのかしてないのかよくわからんが、仕事が終わるまでにこにこしながら座って待ってるし、そのまま家の前まで着いてくるけど、あがりこんだことはない。
 もう、もうさ。これ拾ってもいいよな?
 実はとっくにもう仕事は終わってるんだ。本当は。
 ただ今日はこの男が帰ってくるから…だから。そう思ったら個々を動けなかっただけなんだよ。
 人手が足りないから喜ばれたし、受付職員が増えようが減ろうが、一般の忍にはわからないしな。
「うちに、来ますか?」
 いろんな意味を持たせた言葉を、確かにこの男は理解した。
 一瞬、肉の前に立つ犬のようにギラリと瞳を光らせて、俺に射るような視線を寄越したくせに、すぐにへにょりと眉を下げて俺を見つめている。
 だまされないぞーって顔をして。
「い、いっても、いいなら」
 どうやら誘惑には勝てなかったらしい。
 手早く荷物をまとめる俺を、男はいまだに信じられないのか呆然と見つめている。
まあいいか、春だし。多少頭が沸いてたって、誰も気にしやしないだろう。
「ほら、いきますよ」
 ペタンと地面についていた手を握って立ち上がらせて、でもそのままその手を握ったまま、俺は受付所を後にした。
「え!?え!ええ!?」
「まあ、拾ったものは捨てないので、諦めてください」
 そう笑ってやると熱に浮かされたようにぽわぽわした顔で、男も笑ってくれた。
 …今まで引き返していた家の扉を超えた途端に、純情乙女がケダモノに変わったのは流石に予想外だったけど…まあそれはそれだ。
 同じ布団にもぐりこんで我が物顔で俺にしがみつく男に、多分俺もとっくに惚れていたらしいから。



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