あいのことば


「好きー!大好きー!」
「はいはい」
くっ付いて喚き倒しているのは一応、俺の恋人だ。
…いつの間にかそういうコトになっていた。
「…ねぇ。イルカ先生は、俺のコト…好き?」
「そうですねぇ…?」
答えにくい質問だ。
 なにせ俺は。
「ちぇー?ケチー!…いいじゃない。もう記憶なんてさ」
「…そうも行かないと思うんですが」
 病院で目覚めて、その時既にこの人は俺の顔を覗き込んでいて、それから…俺が記憶を失っていると自覚する前に、攫う様にしてこの部屋に連れ込まれてしまった。
 あっという間に身包み剥がされて、目を白黒させてたら、「抵抗しないなんて…!よっぽど怪我酷いんでしょ!なにやってんの!」と怒鳴られて、怪我の一つ一つを確認されて、熱心に検分する人の顔が綺麗だなぁとか、でもそもそもこの人誰だろうとか、それ以前に俺って誰だ?ってことに意識が回って、叫んだ。
「えー!?うわぁ!?なんでだ!?どうしよう!?」
「えええええ!?なによ!どうしたのよ!?」
「うわー!俺って誰!あとアンタも誰だ!ここはどこだ!」
「えええええええ!?」
後で聞くと、叫び声は大層五月蝿かったそうで、後で大家さんに怒られたらしい。
だが、その後更に追いついた感覚が、叫んだときの痛みを拾って、俺はさっさと意識を手放した。
*****
 …でだ。それから里長という人と、同僚だという人と、ついでに子どもまで連れてこられて、皆一様に心配そうな顔で俺の出自から経歴から関係までを切々と訴えてきた。
 どうしてかなんて、俺も知りたいのに、皆が嘆く。
 なぜ忘れたんだと。
 …この人だけだ。何も言わないのは。
「そりゃね?記憶も大事だと思うんですよ。何が好きとか嫌いとか、ここがいいのいやよやめてとか」
 後半はさっぱりだったが、真摯な態度には少しだけ安心できた。
「でもイルカ先生はイルカ先生じゃない?だったら他はどうでもいいでしょ?また俺のコト好きになってくれれば。ね?」
 今の俺は覚えていないが、この人は相当のタラシだったんじゃないだろうか?どこか艶めいた笑顔も、さりげなく触れる手も、態度も。
 …全部が俺の中の何かをぐらつかせた。
「そうですねぇ…」
 正直男の態度に安堵した。不安だらけの俺を、不安だらけの皆が取り囲む。…そんな中で息苦しさを感じないわけがなかったから。
 でも、なぜか流されてしまう気にはならなかった。
 与えられた仕事をこなし、それ以外の時間はすべて検査に充てられる。不思議と生活に必要な物事は殆ど覚えていたのでその辺には支障がなかったし、困ったときはぺったりくっついた男がせっせと世話を焼いてくれた。
 お陰で怪我もほとんどど治った。…失われた記憶の他は。
「好きー好きー!…ねぇ?イルカせんせ」
「なんですか?」
物好きな男は、こんな俺にもせっせと愛の言葉を囁く。
頭部を強打したからだとか、術の気配も探れとか、そんな言葉だらけの俺の耳を洗い流すように。
ああ、どうしよう?好きになんてとっくになってる。…俺はこの人の望んでいる俺じゃない俺かもしれないのに。
「もうさ。いっそ一から初めてみる?まずはさ」
「え…?」
 軽い口調とは裏腹に、その瞳は切なげな光を宿していて、胸が痛んだ。…最初から。つまり今まで積み上げてきた何かがなかったコトになるのだ。
俺はあるハズのソレを知らないけれど、酷く苦しいと思った。
「まずは…そうね?キスから」
 やっぱり綺麗な顔をしている。ちょっと子どもっぽい態度で煙に巻かれがちだが、さりげない気配りは大人の男のものだ。
 近づいてくるその顔に、俺はとっさに目を瞑った。
「え?え?え…んむ!?」
 温かい唇。触れるだけだったそれから、あっという間に舌が絡む激しい物になった。気持ちよくてどうにかなりそうで、それから先に期待して、だがついでに湧き上がったのは怒りだった。
「てんめぇ!ふざけんな!」
 思い出してしまった。忘れていた方が良かったかもしれないのに。
「あ!うっそ!戻った!やったぁ!」
 殴ってやろうと思ったが、ぎゅうぎゅう抱きついて、キスの雨を降らせてきた男のせいで失敗した。
「アンタ、なにやってんですか!?俺にこんなにくっついてる暇なんてないでしょう!?」
「お休みもらったもーん!」
「もーんじゃねぇ!」
 売れっ子上忍の癖に、この男は俺の側からこの所ずっと離れないでいた。つまり、必然的に任務も放棄している。
 …記憶を失っていた俺を殴ってやりたい。覚えていれば…さぼり癖があるこの人をこんな風にさせなかったのに。
「はぁ…んむ!?」
 重い重い溜息は…だが地面に落ちる前に男が掬い上げた。
「好き!大好き!…もーサイコーの誕生日プレゼント、くれちゃうんだもん!」
「あ!」
 そういえば、そうだ。随分前から強請られていたのを思い出した。いちゃいちゃがいいとか、でもすっごくびっくりするようなプレゼントでもいいとか、鬱陶しいくらい騒いでいた。
任務に行きたくないとごねる男に、期待するなと言葉を添えて約束したのは…俺だ。
 どうやら俺は、結果的にソレを叶えてしまった…らしい。
「もーキスで思い出しちゃうなんて、運命ですね!」
「ううううう…!何でもっと早く…!」
 キスで思い出すなら、さっさとしてくれればと逆恨みじみた愚痴が零れた。なにせ手が早い癖に、今回は精々同じベッドで寝るくらいで何もしていない。
「だって紳士じゃないと!嫌われちゃったら生きていけないもん!」
「もんじゃねぇ!」
 叫んでは見たが、その言葉にしっかり喜んでしまった自分が情けなかった。
 だが。
「じゃ、早速!愛を確かめ合いましょうか!」
「へ!?うわぁあ!」
 我慢に我慢を重ねた男がさっさと被っていた猫を脱ぎ捨てたので、すぐにそんなことなど考えられなくなった。
*****
「うぅぅぅ…」
「もうサイコーでした!」
 男はそれはもうご機嫌だ。俺の腰だの他の人に言えない所だのの痛みを他所に、鼻歌でも歌いだしそうな状態だ。
「いてぇ…」
 呻いても痛みは消えないが、呻かなくではいられなくてうぅうぅいいながら布団に沈み込んでいたら、傍らで男がにこーっと笑った。
「好き。大好き!もうほんっとサイコーに好き!」
 頭の悪い言葉だが、却って男の本気が見えた。
 …もうしょうがない。惚れたのは事実なんだから。
「俺も、好きですよ」
 そう言ったら、きゃあきゃあ騒ぎながら「やっと言ってくれた!」なんて叫んで飛びついてきた男のせいで、俺の腰は大変なコトになったんだが…それでもまあ、幸せだからいいかなってことにしておいた。



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