佇む人(適当)


 あの人の佇む姿は、実のところ初めて好きだと気づいた理由でもある。
 ああして特に用事もないのにアカデミーや受付の辺りをうろついているのは、俺を見に来ているからだと知る前は、どうもよく会う人だといった程度の認識でしかなかった。
 だから、その人があまりにも静かに、まるでそこにいるということ自体が錯覚であるかのように思えてしまうほど薄い気配で、その癖その目立つ銀色の頭を木の幹に預けながら佇んでいる姿をみたとき、心臓がいきなり騒ぎ出したのも、何かの錯覚だと思い込んでいた。
 植物みたいな存在感で、それなのに静かに視線だけが時折こちらに向けられる。何かを待っているのか、それともただ単にそこが気に入りの場所なのかはわからない。
 ただ、ああ、今日もいるなと思うことが日常となり、そこにあれば気配の有無はともかくとして視線を引く人だからついつい観察なんてものまでしてしまって、これじゃ、近所の犬をついつい付回してしまうアカデミー生を笑えない。
 たとえば、愛読書を読んでいるようなのに、1ページもめくられることがないことや、無表情なようでいて、時折苦しそうとしか言い様がない表情を浮かべること、それから5月に入った途端、不意に声をかけてくるようになったこととか、少しずつあの人に関することが頭の中に増えていく。
 そうして、淀んだ空が今にも雨を降らせようとしていたある日、唐突に理解してしまった。
「…うそ、だろ?」
 ただ立っているだけだ。そりゃ時々は声をかけてくることもあるし、まったくかかわりがないって訳じゃないが、要するにほとんど知らない人だってのも変わらない事実で。
 それなのに、欲しいと思ってしまった。
 あの人は、笑わない。時が止まってしまったみたいにそこにあるだけだ。
 できれば笑って欲しいとか、今度声をかけてみようかとか、そんなこと考えていたのも、つまりはこの人に向かってまっすぐに伸びる感情が原因な訳で。
「…なんでこうなっちまったんだ」
 とてもじゃないが告白なんてできる相手じゃない。なにしろ股間に同じものぶらさげてんだからな。
 だが、決着を付けずにいられるほど、この思いは弱くない。どっちつかずをつらぬこうとすれば、いずれはその負荷で理性が切れる日が来るだろう。
   雨が降る前に、声をかけよう。それから、どうしたらいいだろう?
「濡れて欲しくないってことだけは、確かだよな?」
 ボロ傘をひっぱりだして、ついでにちょっとこぎれいなビニール傘も手に取った。
 後は野となれ山となれだ。こじらせてから気づいてしまった感情は、今更なかったことにもできない。
 そうして、傘を手渡して逃げようとした俺を、あの人は誕生日だからと誘い出して、それから。
 告白交じりの泣き言というのが正しい言葉を、つっこまれながら聞く羽目になるとは思わなかった。
 儚げな風情の全てが上忍の擬態だったとは言わないが、未だに多少疑っていたりもするのは、まったくもって悪びれもせず、今になっても同じ行動をとるせいだろうか。
 声をかけるのは、ハードルが高すぎて中々できなかったと言うのも聞いている。声をかける、の次が、無理やりに手を出すことだってのも相当におかしい。
 お付き合いなんてかわいい言葉が必要ないくらいモテてきた男は、真剣にそれ以外の方法を思いつかなかったものらしい。
「イルカ先生」
「なんですか?」
 佇む男は俺の姿を視界に入れると同時に、こうしていそいそと近寄ってくるようになった。昔はじっとこっちを見るだけだったのになぁ。
 さりげなく腰に回される手をいなしつつ聞いてやったら、なぜか急にへらっと笑ってみせた。…変わった人だよなぁ。まあ俺も人のことは言えないが。
「んーん。幸せだなぁって」
「…そうですか。そりゃ良かった」
 このやり取りも何度繰り返しただろう。毎度毎度照れる俺に対し、この男は毎度毎度こうして嬉しそうに擦り寄ってくる。馬鹿ップルとからかわれることにすら慣れて、今となっちゃあのときの渇望と絶望はなんだったんだって状況だ。
 人生ってのは何があるかわからないもんだよな。
「帰りましょ?」
「そうですね」
 当たり前のように手を握ってきたのを握り返し、歩き出した。
 同じ家に帰るために。

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適当。
ちょいと仕事がやまっておりますので更新は亀の歩みです。

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