静謐な(適当)


 苔むした岩に滴り落ちる雫は冷たい。外は恐ろしく蒸し暑いというのに、水の力ってのは偉大だねぇ?
 滝の裏にこんな空洞があるとは知らなかった。しかもそこの主がまた予想外だ。
「…本当は秘密なんですよ?ここのことは他言無用に願います」
 うんざりした表情を隠そうともせずに、普段の人好きする姿とはまるで違うそっけない素振りで案内する男はたしか中忍だったはずだ。
 ただの中忍じゃないのはさっき知ったばかりだけど。
 ま、ただの中忍じゃあの子を任せたりはしないだろう。本人は能天気でちょっと馬鹿で無鉄砲なガキだが、あの中にはアレがいる。解き放たれれば里どころか五大国すら危ういほどの強大な力を持つ魔獣が。
 それがこの人の選ばれた理由なのかどうかは知らないが、静かなのにどこか落ち着かない気分にさせられるこの場所は…静謐とでも言えばいいのか。清らか過ぎて息を吐くことすら躊躇わせる。
 今更この手がきれいになる訳じゃない。そんなことを気にするなんて柄じゃないんだけど。ね。
薄暗いのに淡く光る苔のおかげで真の闇って訳でもなくて、おまけに意外と広い。今転がされている場所より奥がみえないくらいには深くまで続いていて、秘密とやらがどんなものなのかはわからないが、確かに何かありそうだってことは肌で感じられた。
「ここ、涼しいね」
「…水が常に流れていますから。陽もあたりませんし」
 自分をごまかすための軽口にすら律儀に返事をする辺り、この人らしい。ぶっきらぼうな態度もここを守るためなら頷けるかもしれない。
 空気が澄んでいる。本来なら閉ざされて陽もろくに入らないような洞窟なら、もっと淀んでいても不思議じゃない。危険なガスが沸いてることだってある。そこを利用して敵を吹っ飛ばしたりも…って、どうも思考が物騒だ。
 場違いな招かれざる客である己を、この男が突きつけてくるからだろうか。
 さっきまでしつこく追ってきてはずの敵の姿は見えない。索敵能力に長けたのがいたから大分苦戦したし、味方を逃がすことを優先して手傷も負っていた。
 それをこの男が見咎めるまで、気にも留めちゃいなかったけど。
 いきなり滝の奥に引っ張り込まれるとか流石に驚くでしょ。
「怪我、早く見せてください」
「…ああ、いいよ。こんなの。適当に布で覆っとけば」
 実際さっきまでそうしていた。味方が逃げ切るまでは適当に遊んでやらなきゃいけないし、怪我の一つや二つならいつものことだ。見せびらかして今ならやれると勘違いさせれば処理もしやすくなるだろうし?
 いつものことだ。いつもどおりの、何度も繰り返された行為。それをどうしてこんなに真剣な顔でとがめられてるんだかわからない。
「駄目です。アンタ血止めもろくにしてないでしょうが!ああほら!垂れる!」
「…ごめんなさい。汚しちゃったね」
 素直に謝るべきだと思えたのはそこだけで、だからこれから相当怒られることを覚悟したのに。
何でアンタが泣きそうな顔してんのよ?
「アンタは、馬鹿ですか!」
「えーっと。どうだろうね。頭はいいらしいけど。後輩曰く」
「…そうじゃねぇ!そうじゃねぇだろうが!ああちくしょう!面倒な!そんなんじゃ箸ももてないだろうが!…アンタしばらく俺んちで暮らしなさい!傷が治るまで絶対だ!」
 命令、と取ってもいいだろう。これってどうなの?中忍が上忍に?ま、一番気になるのはそこじゃないんだけど。
 こんなきれいな場所の主が、こんなのに触っちゃっていい訳?
「えー?」
 一応の不満の表明は、却って男の眉間の皺を深くした。何でそこで笑うのかよくわかんないけど、怒りながら笑うとか器用だね。この人。
「異論は認めません!…ここは、治療にはいいんですが、寝るところまでは流石にありませんからね」
 そう言って男がなにやらごそごそし始めた。持ち出したのは…水筒か?へー?水遁使えばどうとでもなるのに、わざわざ水持ち出すなんて珍しい。もしかして砂の国とかにでも行く予定があったんだろうか。
 それにしちゃ軽装だよね。中忍が単独任務で遠方にって、この情勢じゃ流石にないはずだ。
「染みますよ」
「え?ああ。はい」
 水筒の中身は水みたいだけど、傷には確かに染みる。でも。なんだこれ。あったかい?
「ああ、大分ふさがりましたね。お客さんは多分まだ迷ってるはずなので、これ補充したら急ぎましょう」
「ん」
 確かにあったはずの傷が、医療忍術で塞いでもらったようにうっすらと塞がり、血を流すことをやめている。水らしきものの正体は気にかかるが、男の口ぶりだとまだ敵さんはあきらめていないんだろう。この人を巻き込む前に逃がさないとね。袖ごと染みこんだ血を落とせば、匂いで追われるってこともないだろう。
「…アンタホントにわかってなさそうだな」
「…そ?」
 わかっていないってのが何を指すのかわからないけど、とりあえず今すべきことはわかる。奥に引っ込んですぐ戻ってきた男を守ることだ。
 手早く手当てしてもらった傷に触れるとまだじんわりと熱が残っている気がした。
 剥ぎ取った布を燃やす間に、男は身繕いを済ませたらしかった。
「おそらく北西のトラップにひっかかってるはずなので、ちょっと迂回して行きますよ」
「了解」
 気配を探りながら地を蹴った。
 美しいのに清らかで居心地の悪い空間から逃げ出せることを、ほんの少しだけ喜んでいたかもしれない。
*****
「風呂にちょっと混ぜるだけでも効果があるんです」
 そう言い張る男に湯船に沈められた挙句、いらないと言ったのに口にねじ込まれんばかりに強引に飯を食わされ、ついでに寝床に押し込まれるまであっという間だった。
 なんでこうなったの?
 見知らぬ家はあの場所の居心地の悪さとは打って変わって、所帯じみているというか、書き損じた紙や洗いっぱなしの洗濯物なんかがほどほどに散らかっていて落ち着く。
「…ありがとね」
 怒りながら手当てをしてくれた男は、もう眠りに落ちているだろうか。
 聞こえないかもしれないとわかっていて発した言葉は、どうやら届いていたらしい。
「…色々、覚悟しとけクソ上忍」
 それはずいぶんと攻撃的な言葉にしては決意に満ちてるっていうか、おまけにやわらかくて、何故か腹も立たなかった。
「…ま、そうしましょ」
 アナタがいうならね。なんていったらどんな顔をするだろう。
 怪しげな風体の、それも格上の相手を引っ張りこんだ挙句に啖呵を切れる男なんて早々いない。
 楽しみかもしれない。なんて、ね。
 奇妙な男に守られて、ゆるゆると訪れる眠りに沈むのも悪くない。ほくそ笑んだことに気づいたのか、男が深くため息をついた気がした。
 
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適当。
湿気と気温差なんとかならんでしょうか。仕事の山もだけど。

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