傷舐(適当)



深夜、奇妙な感触を感じて目が覚めた。
とはいえ寝入ったばかりで目を開けるのもつらく、だが確かに感じる違和感に眠り続けることもできず、その感触を感じた部分に触れてみた。
顔を横に横切る派手な鼻傷は、随分昔の、それこそ忍にすらなる前のずっとずっと幼い頃についたものだ。今更痛みを訴えたりはしない。
そこが、濡れていた。それもぬるりとしたもので。
…一瞬で目が覚めた。
「なっ!」
瞳を開き、手についたモノをみれば色はなく、どうやら血ではなさそうだ。
だがそんなことよりも恐ろしいモノが、眼前に迫っていた。
「ん」
上忍が、熱心に俺の鼻傷を舐めている。
奇妙な感触に驚いて振り払ったらしいのに、それにめげることなく…というか、舐めてる本体がおきてるんだからもうちょっとまともな反応ってもんが…いやそもそも眠ってる他人を舐めるという行為自体が異常に他ならないんだが。
「なに、やってんですか」
「イルカせんせの傷ってきれいですよねぇ」
ほうっとため息をついて、うっとりと瞳を細めている。
当然のことながら、それは質問の答えではない。
一切会話をする気がないか、毒でも食らっておかしくなってるのか、それとも…元々おかしいのか。
どうにも後者の予感をひしひしと感じながら、強引に頭を押しのけた。
「寝るんで。邪魔せんでください」
「邪魔はしませんよ?気配も消してますし」
気配を消した上忍に舐められながら熟睡できるヤツがどこにいると思うんだ。
いやそもそもこれと同じ状況になる人間が他にいようはずもない。いたら恐い。人の傷を舐めたがるイキモノがこれ以外にもいるってことになるんだからな。
やはり後者か。撃退するにも実力差も階級差も、全てをあきらめてしまいたくなるほどある。
逃げて、それで追ってきてまた舐められたら、その得体の知れなさに泣いてしまいそうな気がした。
恐ろしい。何がって、この人が何を考えているのか分からない所だ。
これなら敵に捕まったとかそっちの方がずっとましだ。相手が何のために行動してるのかがわかるからな。
「何が楽しいんだ…!」
混乱の極みで乱暴に吐き捨てた言葉は、だが奇行に走る上忍にはなんら影響を及ぼさなかったらしい。
「楽しいです。もっと他の傷もなめたいなぁ」
ちょっとおやつが足りませんって時の犬が、よくこんな顔をしている。
おねだりというにはささやかで、だが明らかに期待した顔。
ぶん殴りたいが、触るのも恐かった俺は、とっさに訳のわからないことを言ってしまっていた。
「アンタの傷舐めてもいいんですか!?」
寝込みを襲うなとか、そもそも断りなく他人を舐めるなとか、舐められて平気なのかとか、言いたかったのはそういうことだったんだが、上手く言えなかった結果そうなってしまった。
人の身になって考えなさいと教えてはいるが、この生き物にそれが通用するはずもないというのに。 「いいですよー?どうぞ」
…無防備に傷を隠す前髪を掻きあげ、顔をさらした上忍があまりにも素直だったから。
それでつい。
何でかしらないが寝ぼけた頭のまま勢い余って閉ざされた瞳の上を舐めていた。
「…」
楽しいわけがない。他人の傷だ。痛ましいと感じることはあっても、舐めてどうにかなるもんじゃないのはわかりきっている。
なのにどうしてか、少しだけ嬉しいというか、きれいな生き物が無防備に急所をさらしているのにドキドキするというか…!
俺までこの男のせいでおかしくなったんだろうか。
「イルカせんせ?」
小首をかしげるイキモノは、俺より少し大きいくらいのはずなのに、どこか小動物を思わせる。その行動の突拍子のなさにも原因があるんだろうか。
目を細めて気持ち良さそうに舐められている姿に、何故か胸が高鳴った。
「…寝ます」
「そうですか」
「アンタも寝なさい。寝不足がすべての原因です。きっと」
「んー?どうせならここだけじゃなくて、他の傷も舐めたいんですが」
「いいから寝ろ。黙って寝ろ」
「はぁい」
一緒の布団に潜り込んでから、そういやこの人は追い出せばよかったんじゃないかと思ったものの後の祭りで。
堂々としがみついてくるというか、抱きしめてくる男の腕から抜け出せなくなっていた。
まあ、いいか。きっと眠れば全てが解決するに違いない。
「いっそ全部夢ならいいのに」
「夢、ねぇ?」
どこかしら少し不満げなケモノをなだめるように撫でると、まぶたがさらに重みを増した。
手触りがいいイキモノはいい。やわらかくて…あたたかい。
「おやすみ」
悩むのを諦めて睡眠欲に従った。寝入る前にもまた鼻傷にぬるりとした感触が走った気がしたが、ぬくもりが興す眠気に抗わなかった。
「ふふ。変な人」
そのささやきには少々の反発を覚えはしたのだが。
*****
朝が来てもケダモノは消えていないばかりが何故か服を脱ぎ捨てていて、自分のパジャマも随分とぐちゃぐちゃになっていた。
「背中の傷。よく無事でしたね」
「はぁ。急所は外しましたし。まあ思ったより深くて手間取りはしましたね。治療に」
独り身のつらさで、病院で消毒くらいはしてもらえたものの、薬を塗ったり包帯を換えたりするのは全部自分一人でやらざるを得なかった。毎度毎度影分身の術の印を組むたびに、早く嫁さんを探そうなんて思ったもんだ。
…舐めたのか。それも。そのせいでパジャマが無茶苦茶に。
眠り込んでいた自分の身に何が起こったのか考えるのも恐ろしい。
「右足の付け根も。これ、動脈切ってるでしょ」
「そうですねぇ。血が止まらなくてあせりました」
「なんでこんなに傷だらけなの…」
そんなこと、勝手に上がりこんで舐めようとする…というか既に嘗め回したらしい男に言われたくない。
それがどんなに心配そうで涙目で哀れっぽく見えたとしても。
そのくせ怒る気にはなれないのだ。この男に言っても無駄だろうという諦観が強すぎて。
「忍ですから。怪我なんざ日常茶飯事でしょうに。まあ確かに未熟者ですから、避けきれないってのはあるかもしれません。鍛錬増やして…」
「ああ、それなら面倒みますよ。傷舐めたいですし」
「いえ。自分で…!」
「他の所も舐めたいんですが」
「なんで!」
「え?だって好きな人は舐めたいでしょうよ」
堂々と言い切る男に言い返すことすら出来なかった。
頭がおかしいのは分かる。分かるが…だからってどうしたらいいんだ。上忍で一応凄腕らしくて、そんなのを殴ったり放り出したりなんて出来るとは思えない。
だって俺のこと好きだなんていうんだぞ。
そんなの、そんなのは…!
「うれしい、のか。俺は」
「両思いですねぇ」
にんまりと笑ってまた鼻傷を舐めた男に抗えなかった。
どうやら俺にも春が、それもとびっきりおかしな春が来たらしい。
嘆けばいいのか怒鳴ればいいのか頭を抱える俺の傷を、男は嬉しそうに舐め続けていた。


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てきとう。
つづきものーかきた、ねむヾ(:3ノシヾ)ノシ
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