夏、蝉、スイカ(適当)

「父さん。お待たせ」
「おかえり。カカシ」
長いこと臥せっている父の顔色は、いいとは言えない。
元々抜けるように白かった肌が、向こう側の景色が透けてしまいそうなほど白く、そしてうす青く、弱ったイキモノの匂いばかりを漂わせている。とてもとても強かった人なのに、そうして敷きっぱなしの布団から半身を起こしているときも、ざらりとした白いシーツの色が移ってしまったように、どこか存在そのものが薄まって行くようにみえて恐ろしかった。
「ご飯、作るね?」
「今日は、とても暑いから、早く寝るんだよ」
「…うん」
会話が、通じなくなってどれくらい経っただろう。
母さんが生きていた頃のことを、昨日会ったことのように話しだすこともあれば、こうして俺のことを心配してくれる素振りをすることも、むしろ外へ出たら殺されると泣いて喚いて、そこだけは衰えない術の冴えを見せ付けるように、閉じ込められてしまうこともある。
そんなときは母さんにずっと謝っていたり、俺の知らない誰かに謝っていたり、それから俺のことを守らなければならないって、そのことばかりを繰り返していたりもする。
医療忍はそんな父さんにあっさりと匙を投げた。
壊れた忍はいくらでもいて、直る見込みがないなら平気としては使い物にならないとあざけりさえしたんだ。
その代わりのように、難易度の高い高ランク任務を宛がわれるようになった。
汚名を雪げと。苦りきった顔の老人どもに喚かれながら。
本当はどうでもよかった。そんなことより父さんの方が心配だった。
「ああ、蝉が」
「…窓、閉めるね?」
暑くても寒くてもそういうことに頭が働かなくなってしまった父さんのために、普段は窓を閉め切ってエアコンを掛けてある。
でも、今日は多分、自分で開けてしまったんだろう。入り込んだ一匹の蝉が鳴きもせずに商事の桟に張り付いている。
そういえば、随分部屋が暑い。こんな気温で眠っていたら、熱中症になってしまうかもしれない。
前にも風邪を引いているのに雪の上で倒れ込んで笑っていたこともあった。父さんはそういうことに前から無頓着だったけど、もっと気をつけなきゃ。
帰ってくるなり倒れられていたら…なんて考えたらぞっとする。
「蝉、は、死ぬまで歌い続けるんだ。請うる相手を得るために」
「…うん」
「…」
黙り込んでしまった。思い出してしまったのかもしれない。
急がなきゃ。気ばかりが急いて、簡単に捕まるはずの小さな虫けらを逃がしてしまった。
追い出すつもりだったから窓から飛び出すのは歓迎だ。だがジィジィと五月蝿い音でがなるのは迷惑でもあった。
父さんを、刺激しちゃいけないのに。
「…寝よう?」
「…あ、あ…」
掠れた声で、多分母さんの名前を呼びながら、静かに涙を流すのをただ見ていた。
番を請うるがために命を捨てようとしているイキモノは、蝉だけじゃない。
「父さん」
「…ああ、カカシ。お帰り」
良かった。辛すぎる記憶に耐えられなかったのか、多分父さんはさっきのことも忘れている。今のうちに眠ってもらおう。静かにその傷が癒えるまでは、何も考えて欲しくない。
…癒える日がくるのかは、誰も知らないけれど。
クーラーが静かに冷えた空気を吐き出して、締め切った部屋を満たして行く。
まるで冷蔵庫みたいだ。そんなくだらないことを考えて、笑いがこみ上げてきた。
記憶もなにもかも、凍らせてしまえばいいのに。母さんを思い出すたびにこうして何もかもを忘れてしまうようになった父さんと、死ぬまで番のために鳴き続けるあのちっぽけなイキモノ。
…俺は、きっと恋なんかしない。こんな風に壊れてしまうくらいなら、絶対に。
密やかな誓いだけがこの部屋で熱を放ち、俺を抱き包んで眠ってしまった父さんの弱々しい鼓動と白い腕だけが頭に焼き付いた。

それから使えぬ武器を憂えた連中に記憶を削り取られた父が、戦いの中で再び壊れてしまうまでそう長くはなかった気がする。

恋なんかしないなんて誓いは、そのずっとずっと先になってから、破られることになった。
「カカシさん。このスイカうまいですね!」
「ん。そーね」
恋とか愛とか、そんな事を考えることも出来ないくらいあっという間だった。
土産に下げてきたスイカにかぶりつく姿にさえも欲情する。
であってすぐに欲しくてたまらなくて、それがどうしてかなんて考え付く前に、ありとあらゆる手段で他を排除し、気付けばこうして手に入れていた。
いや、手に入れたというよりは、その必死さにこの人がほだされてくれたってのが正しいか。
わけもわからず周囲の人間を排除しようとする俺に気付いて怒り、その理由を聞かれて答えられずにいた俺にため息をついて、呆れ顔で馬鹿呼ばわりしてきて、でもそれからずっと側にいてくれている。
そうなってからすぐに、たまらなくなって思わず好きっていっちゃったせいもあるんだろうか。
…いつか、壊れる日は着てしまうだろう。この人を失えば、俺はあんな風になることもできずに死を選ぶ自信がある。
そんな呟きにさえ、大笑いとともに、「俺はそう簡単に死にませんから諦めてください!」なんていってくれた人に、もうめろめろだ。愛の言葉なんて滅多に言ってくれなくても、その言葉だけで心臓を握りつぶされた気がした。
「カカシさんも食べてくださいよ。水分取れるし美味いんですよ!このスイカ!」
「ん。イルカせんせーが、手ぇべたべたにして頬張ってるのがエッチだからついねー?」
「なっにを!いってんだ!」
熟れたスイカよりも真っ赤になって取り乱した恋人の唇を奪い、あの日を思った。
俺は蝉にも父さんにもなれないけど、多分きっとずっとこの人から離れない。死んでいても生きていても。それくらい執着してしまったから、壊れることも出来ないだろう。
「後で、シようね?」
「あついから、その」
「エアコンいれといたから。寝室」
「…無駄に用意周到な…!」
「大事なことでしょ?ね?」
「…うぅ…!」
往生際悪くもそもそ昼間っから破廉恥なとか呟いている愛しい人の真っ赤な肌を、不埒な液体で白く染めるまできっとあと少し。
どろどろになりたいなぁ、っていうかどろどろにしちゃうけど。
ほくそ笑んだ俺に、膨れっ面でスイカを突きつけてきたその指ごと、甘く赤い欠片もたっぷりと味わっておいた。

 

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適当。
あついようあつい。

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