その理由

風呂の湯を溢れるほどたっぷり溜めて、じっくりと温まる。
汗と一緒に一日の疲労や厄介ごとの記憶も流してしまえるような気がした。…まあ、しただけだったんだが。
「イルカせんせ」
声がする。
勿論玄関のドアからではない。
…今心地良い入浴タイムを満喫している真っ最中の風呂場の窓からだ。
聞こえないフリをしたかったが、放置していると窓が音もなく外されてしまうのを知っていたので、とりあえず急いで返事をした。
「はぁ…。あーなんですか?というか、ここは自分の家なので、そういう所から話しかけられても困るんですが。この間も言いましたよね?カカシ先生」
…溜息はご愛嬌だ。
言っても無駄だと分かっていても、自分の主張も欠かさない。
まあほんっとーにすっかりさっぱり無意味なのだが。
「あのう。だって玄関だとイルカ先生に気付いてもらえないかなぁって…」
本気で言ってるから困る。
実際、一度気配を完全に消しているせいで全然気付かなかったことがあるにはある、その時だ、いきなり窓外されて、家の中に上がりこまれたのは。
音もなく窓が外れて気配もなくすっと…突然現れた男に、悲鳴すらあげられなかった。
俺を見るなり嬉しそうににっこり笑って、「いた…!」って言われたんだが、その時俺は自分の一生がこれで終わることを覚悟したくらいだ。
せめて気配を出せとか、声も小さすぎるだろとか、それ以前に何の用だ一体とか、言いたい事は山盛りあったが、全部恐怖で吹き飛んで結局なにも出来なかったのもよくなかったのだろう。
動機はさっぱり分からない。だが深夜の訪問は続いている。
…することといえば決まっていて、ただ俺の家に上がりこんで、ぼんやりしているだけなのに。
「もう気付いたので、玄関開けます。今風呂上がるんで、もうちょっとだけ待ってて下さい」
一応、言っておいた。効果はあんまり無いだろうと思いながら。
案の定、俺が風呂から上がって急いでパジャマを着て玄関に行ったときには、すでにちょこんと座った男がこっちを心配そうに見つめていた。
心配なのはお前の頭の中身だと言いたい。だが言えない。…歴然とした階級差が腹立たしい。
「あの、だってイルカ先生がね?いなくなっちゃったら困るから」
それが言い訳のつもりなんだろう。
木の芽時。そういえば、季節はもうすっかり春めいている。この時期はどうもこういう手合いが湧きやすい。
思考を彷徨わせながら、上がりこまれるのは決定事項だったのだからと己を慰めた。
「えーっとですね。俺はそんなにすぐにはいなくなりません。任務ならわかりませんけど。…それに、俺がいなくなっても困らないでしょう?」
たかが中忍だ。それをこうまでしてからかう意味が分からない。
嫌味のつもりもあったが、正直心底理解できなかったというのもあった。
だが。
「いなくなったら、困ります。すごく困ります」
なぜか必死な目をした上忍に縋りつかれた。しかもちょと泣きそうだ。
理由が分からないが、知らない方がいいんだろうか?
…こういう真っ直ぐな瞳に、俺が無視なんかできるわけないんだけど。
「困る理由ってのは、なんですか?」
聞かない方がいいっていう勘と、理由を知りたいっていう好奇心がせめぎあって、だが結局好奇心に負けた。
だってそうだろう?こんなに迷惑掛けられてるのに、理由一つ知らないなんて!
「だって、だって好きなんです…!イルカ先生がいないと生きていけない」
聞いちゃ駄目だったんだと思ったのは後の祭りで。
権力を盾に迷惑をかける忌々しい男だったはずが、泣きそうなその顔を見た瞬間胸がぎゅっと締め付けられるような感じがして、そして…。
「やられた」
甘い眩暈に、何が起こったのを悟った。…いや、悟らざるを得なかった。
ああだめだ。こんな風に恋に落ちるつもりなんてなかったのに。
抜け出せない沼のように俺はすっかり嵌ってしまった。この男に。
「わかりました。…とりあえず、付き合ってみましょうか」
告白でなにかをふりすてたのか、どさくさにまぎれて俺の肌の上を漂い始めた手を止めてから、男らしくそう言ってやった。
こうなったらいっそのこと、もっともっと俺にメロメロにしてやろうと思いながら。


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てきとうー!
あとになって、これ以上めろめろにしちゃったら困るって気付いても後の祭りだという話?
ではではー!ご意見、ご感想などお気軽にどうぞー!


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